順礼の碑
市指定記念物(史跡)内国府間 権現堂堤上

伝説によると、享和2年(1802)の洪水の後、地元の人々が土手の修復に手をこまねいていたところ、そこを通りかかった順礼母娘が「人柱を建てねば水は治まらない」と自ら渦巻く流れに身を投げると、たちまち水の流れは静かになり修復を終えることができたという。
この順礼母娘を供養するために昭和11年に建てられた石碑で、明治時代の日本画家結城素明(ゆうきそめい)による母娘順礼像が刻まれている。
市指定記念物(史跡)内国府間 権現堂堤上
伝説によると、享和2年(1802)の洪水の後、地元の人々が土手の修復に手をこまねいていたところ、そこを通りかかった順礼母娘が「人柱を建てねば水は治まらない」と自ら渦巻く流れに身を投げると、たちまち水の流れは静かになり修復を終えることができたという。
この順礼母娘を供養するために昭和11年に建てられた石碑で、明治時代の日本画家結城素明(ゆうきそめい)による母娘順礼像が刻まれている。
更新日:2024年12月19日