将門の首塚

ページ番号 : 6219

更新日:2024年12月19日

市指定記念物(史跡) 大字神明内 浄誓寺

将門の首塚

平将門は平安時代中期の武者で現在の茨城県西部を地盤としており、周囲との対立に端を発して国家に対する謀叛者と見なされ、自ら新皇と称して関東を制圧しようとした。しかし、承平・天慶の乱の中、天慶3年(940)に下野の豪族藤原秀郷と平貞盛連合軍に敗れ下総国猿島郡で討たれたという。

神明内の通光山浄誓寺の境内奥に高さ3m程の塚があり、その頂に風化した五輪塔が建てられている。ここに、、将門の愛馬が運んできた首が埋められたと伝えられている。

この記事に関するお問い合わせ先

幸手市郷土資料館

〒340-0125 埼玉県幸手市大字下宇和田58番地4
電話・ファックス 0480-47-2521

メールでのお問い合わせはこちらから