一色照直寄進状

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更新日:2025年01月09日

市指定有形文化財(古文書)平須賀2丁目

この寄進状は、一色照直が江戸時代の慶長3年(1598)10月10日に平須賀の宝聖寺の衰微を憂慮し、3貫文の寺領を寄進したことを示すものです。領地内の寺院の復興を図るため、領主として所領を与えた歴史的事実を伝える古文書で、照直が幸手で行った治政の一端を示しています。また、照直が発行した文書は、今のところこれ以外に確認されていません。
このように、「一色照直寄進状」は、江戸時代初期に幸手の領主一色照直が行った事績を今に伝える唯一の史料で、幸手と一色氏との関わりを示す文化財としてたいへん貴重です。
一色照直は、戦国時代に古河公方足利家の重臣で幸手城主でもあった一色直朝(月庵)の子 一色義直の次男です。時期は不明ですが、父の義直から家督を譲られ、義直が徳川家康から与えられた幸手の5,160石の領地を継承しています。
慶長5年(1600)6月、徳川家康による会津城主の上杉景勝征伐のとき、照直は、老齢の義直に代わって家康に従い、その後は徳川秀忠の小姓として仕えます。
さらに、慶長7年(1602)には上杉征伐の功により、近江国(滋賀県)に2,000石が加増され、合わせて7,160石の領地を支配する旗本となります。
しかし、慶長12年(1607)正月に病死し、平須賀の宝聖寺に葬られたとされていますが、その墓石は確認されていません。

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