本因坊第十世烈元の墓石

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更新日:2025年01月09日

市指定有形文化財(歴史資料)大字上吉羽

烈元は、上吉羽の出身で、寛延3年(1750)に生まれ、文化5年(1808)に亡くなり、碁格は準名人8段であった。
烈元は幼少のころから本因坊第9世察元に弟子入りし、察元が碁所に就いた明和7年(1770)、21歳6段のときに察元の跡目になった。天明8年(1788)察元の死去に伴い家督を継ぎ、本因坊第10世・烈元となった。
烈元については、記録の中では、幕府御数寄屋方組頭の「山本氏之男」とされている。しかし、研究者によって「澤村烈元」「幸手産烈元」と記された棋譜が残されていることが確認された。このことから、跡目の許可を得るときに養子のかたちで山本氏となったことも考えられる。
さらに、平成17年7月の調査の結果、上吉羽村の澤村家の個人墓地内に「十二月六日 俗名本人坊」と刻まれた墓石が確認された。古くは「ホンニンボウ」と発音していたため、このような表記になったとみられる。あわせて、この12月6日という命日が分家の過去帳の記載やその他の資料と一致することから、この墓石が烈元の墓であることが判明した。また、澤村家の分家の過去帳には、「本因坊烈元日居士(本来の諡は「日実」)」と記されており、烈元と澤村家との関係が裏付けられた。

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