柳剛流祖岡田先生之碑
市指定記念物(史跡)大字西関宿
岡田惣右衛門は、明和2年(1765)惣新田村に生まれた。諱は奇良、俗称は惣右衛門。幼いころから機敏で神童と呼ばれ、18歳のころ旅に出て、心形刀流伊庭軍兵衛の高弟大河原右膳に師事して免許を得た。
惣右衛門は、剣術だけでなく薙刀・居合・棒術・杖術などの武芸のほか、柔術も習得した。その結果、脛を切ることを最大の特徴とする実戦的な剣術を考案。雪に折れ難い柳にちなみ「柳剛流」と称し開祖となった。
江戸の神田お玉が池に道場を構え、全国に多くの門弟を擁した。文政9年(1826)63歳で没す。
この碑は、慶応元年(1865)6月に建てられた惣右衛門の顕彰碑で、碑文は石渡義行の撰文、喜多村氏の書になる。石渡の詳細は不明だが、碑文から惣右衛門門下の林右膳を剣の師とする柳剛流の剣士とみられる。また、建碑関係者には、新井竹蔵、村井正七、喜多村幸兵衛、智久宗兵衛ら石渡の門弟らの名前も見え、世情不安をかかえた江戸幕末の当地で、柳剛流が盛んであったことがうかがわれる。
更新日:2025年01月09日