橘守部翁遺蹟碑

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更新日:2024年12月20日

市指定記念物(史跡)北1丁目

橘守部は、天明元年(1781)伊勢国朝明郡小向村(現三重県三重郡朝日町)に生まれた江戸時代の国学者。「天保の四大家」として、香川影樹、伴信友、平田篤胤らと並び称され名声を博した。
十代半ばにして江戸に出て学び、文化6年(1809)29歳のとき、縁あって幸手在・内国府間村に居住し、文政12年(1829)再び江戸に戻るまでの20年間を当地で暮らすかたわら、蓬壺庵という手習い塾を開き教授していた。
この碑は、昭和3年(1928)11月に正五位を贈位された守部の遺徳を追慕し、幸手町教育会が建碑を主唱、町長・山井作市を会長とする建碑協賛会が資金を集め、昭和4年(1929)に建てられた。碑文は、國學院大學教授の河野省三が撰文、ならびに書及び篆刻をしたもの。建碑と同時に、周辺が「橘公園」として整備され親しまれていた。当時は広い砂丘に位置し、梅の香かぐわしい美しい公園であった。現在は、埼玉県立幸手桜高等学校の敷地の北隅に位置している。

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