中村家文書
市指定有形文化財(古文書)幸手市教育委員会

旧幸手宿右馬之助町の中村家に伝えられた、江戸時代から近代にかけての文書・絵図・典籍類858点で、現在は教育委員会が所蔵する。なお、関係資料に京都大学文学部が所蔵する「武蔵幸手宿記録」138点、「武蔵幸手宿文書」53点がある。
幸手宿は、江戸時代の日光道中と日光御成道が合流してすぐの宿場であり、交通・交易の要衝として繁栄したが、中村家文書にもそうした宿場の機能や様子をうかがい知れる資料が多く含まれている。
中村家は、江戸時代、代々名主を務め、明治時代以降も副戸長、戸長を務めた旧家である。
また、明治14年(1881)には、明治天皇の奥羽北海道巡幸の際に行在所となっている。とりわけ、同家二代右馬之助は当地を開発した人物で、右馬之助町の名称はこれに因む。
また、一色宮内少輔に宛てた古河公方・足利義氏の書状を有した由緒など、戦国時代・幸手城主であった幸手一色氏とのかかわりも深い家柄である。
参考:『幸手市史調査報告書第4集 中村家文書目録』平成4年3月発行
更新日:2024年12月20日