幸手の雛節供と「草餅」

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更新日:2022年02月02日

3月3日は、五節供のひとつ「上巳」の節供です。中国でみそぎをして良くないことを払った古くからの行事にならい、日本でも平安時代、朝廷や貴族の行事となったのが「上巳の祓」です。

江戸時代になると、上巳の節供に女の子のいる家で雛人形やその調度類を飾るようになります。

これにあわせて白酒、菱餅、桃の花などを供えてまつる「雛祭り」として行われるようになり、今日に至ります。

幸手の民俗行事や風習をまとめた『幸手市史 民俗編』で、かつての雛節供を調べてみました。

幸手では、3月3日の雛節供を「女の子の節供」「雛祭り」「桃の節供」などと呼びました。

女の子の成長を祝うお祭りですが、昔は長女だけ祝った、という家も少なくなかったようです。

その家に女の子が誕生すると、親類などから雛人形がお祝いに贈られます。二女以降はケース入りの人形でした。

そのあと毎年、雛節供が来ると、雛人形を座敷に飾り、草餅、菱餅、あられ、甘酒などを供え祝いました。

この日は、蓬入りの草餅を作りました。女の子がいない家でも、草餅を作ることにしていた家も多かったようです。

また、子どもがいても成長してしまうと、草餅を作るだけの日になりましたが、嫁いで間もない嫁は、この草餅を土産に里帰りしました。

蓬で作る草餅は、年中行事の儀礼食で、幸手の雛祭りには欠かせない「変わり物」なのです。

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