オルガンと幸手町の郷土誌 -高橋浅次郎が遺した資料-

ページ番号 : 8920

更新日:2021年11月03日

明治時代の終わりから、大正・昭和時代にかけては、郷土誌の編さんが盛んに行われました。

日露戦争後、政府は地方改良運動をおし進め、郷土愛を深めることの大切さが重要視されてきたことが、背景にあると考えられています。

このような社会的気運が高まる中、特に大正期を中心に現在の幸手市域の町村でも郷土誌編さんが盛んに行われていきます。このうち現存する吉田村・八代村・権現堂川村の各郷土誌は、幸手市史調査報告書第10集「村と町」に掲載し、幸手の歴史の解明に大きく役立っています。

この時期の郷土誌編さんは、各町村の学校長が取り組んでいました。幸手市郷土資料館令和3年度特別展では、当時の幸手町立幸手尋常高等小学校の校長であった高橋浅次郎が遺した「郷土誌稿」を中心に、当時の幸手町で行われた郷土誌編さんの概要を紹介します。

また、これに合わせて、高橋家に伝えられた古いオルガンをはじめ、浅次郎ゆかりの資料のほか、浅次郎自身もその活動に深く関わった「幸手町教育会」の文化的事業の成果の一端についても紹介します。(開催期間令和4年1月30日まで)

この記事に関するお問い合わせ先

幸手市郷土資料館

〒340-0125 埼玉県幸手市大字下宇和田58番地4
電話・ファックス 0480-47-2521

メールでのお問い合わせはこちらから