幸手が生んだ江戸時代の相撲年寄 雷権太夫

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更新日:2020年08月02日

市民のみなさんは、相撲はお好きでしょうか?

歴史を紐解くと、幸手は相撲との関わりも深いことをご紹介します。

江戸の相撲会所の最高位の役職は「筆頭」です。現在の日本相撲協会で例えれば、「理事長」がそれにあたります。

江戸時代後期、この筆頭を務めた第6代目と第7代目の雷権太夫は、二人とも幸手出身の力士でした。

第6代目の雷権太夫は、惣新田村(中新田)の秋間家の出身です。文政7年(1824)に筆頭に就任し、同13年(1830)に角界の大名跡である雷権太夫を襲名しました。

第7代目の雷権太夫は、6代目の甥で、下吉羽村の金子家の出身です。天保9年(1838)10月に雷権太夫を襲名し筆脇となり、弘化2年(1845)11月には筆頭に上り詰め、江戸相撲会所のトップとして長く手腕を振るったのです。

 

幸手は、囲碁ばかりでなく相撲文化との関わりも深かったのです。

 

第7代目 雷権太夫

(国立国会図書館デジタルコレクションより転載)

「相撲錦絵」のうち「勧進大相撲之図」に描かれた第7代目 雷権太夫(柱の右側の黒い羽織を着た人物)

(国立国会図書館デジタルコレクションより転載)

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