貝が語る幸手の「海」
埼玉県は、海なし県です。
けれども、大昔、幸手市の大半は海でした。
みなさんは、幸手の海を想像できますか?
今からおよそ1万3,000年前、氷河期が終わると、地球の温暖化が進みます。それまで氷で閉ざされていた陸地の氷がとけ、海へ流れ込み、海水面を上昇させます。
とくに、5,500年ほど前の縄文時代は、奥東京湾が市域にも入りこんでいましたが、奥東京湾東縁の槙野地は高台にあったため、潮騒が聞こえる縄文時代のムラが営まれていました。
目の前に広がる海からは魚や貝などの海の幸、そして台地の奥に広がる森からは動物や木の実など山の幸が得られます。
こうした豊かな自然環境に恵まれた槙野地には、家を建て、土器を焼き、矢じりなどの狩りの道具を作り、人びとが暮らす縄文時代の集落があったのです。
発掘調査で確認された槙野地の貝塚は、埼玉県最北の貝塚です。アサリ・カキ・ハイガイ・オキシジミ・ハマグリ・シオフキなどが含まれ、タイ科魚類の骨も見つかっています。
このように貝塚は、縄文時代前期の槙野地の人びとが、砂質の干潟が広がる浅い海に面した自然環境で、貝や魚を採って生活していたことを示しています。
郷土資料館で、令和元年度に開催した開設一周年記念の特別展では、江戸川右岸の槙野地の貝塚に焦点をあて、縄文時代の幸手に海辺の暮らしがあったことを紹介しました。あわせて、同じく下総台地の奥東京湾東縁にある埼玉県の近隣市町の貝塚の資料も展示しました。
今では、海から遠く離れた内陸部の幸手市で、たくさんの方に奥東京湾の海進と海退という自然環境の変化に思いを馳せていただくことになってしまいましたが、ちょっと不思議な感じですね。
エントランス展示では、貝塚の貝層の剥ぎ取り資料がお出迎えをしました
縄文時代の海を物語る貝塚の貝をたくさん展示しました
更新日:2020年07月19日