権現堂堤の歴史
平成30年10月23日、幸手市郷土資料館がオープンしました。これを記念して特別展「権現堂堤の歴史」を開催しました。
権現堂堤は、美しい桜だけでなく、紫陽花や曼珠沙華、水仙と四季折々の花の名所として、その名前は広く知られています。
この特別展は、この権現堂堤について、意外に知られていない堤防としての長い歴史に焦点を当て、市民のみなさんにより深く知っていただこうと開催したものです。
その歴史は古く、初めて築かれたのは、戦国時代の天正4年(1576)のこととされています。
江戸時代には、江戸を守る「御府内御囲堤」とも呼ばれるようになり、江戸幕府の手厚い管理のもと、幸手領の住民も水防活動に力を尽くし、守り続けました。しかし、自然の猛威には勝てず、権現堂堤はたびたび決壊し、大規模な水害が発生しています。
明治9年(1876)には明治天皇の行幸があり、行幸堤の名前はここから生まれました。
その後も、東京を守る堤として権現堂堤の治水上の重要性は高まりますが、利根川改修工事で権現堂川が締め切られることが決定すると、権現堂堤もその役目を終えることになったのです。
このため大正9年(1920)に地域住民が立ち上がり行幸堤保存会を組織し、由緒ある権現堂堤を保存するため桜を植樹し始めました。
その成長とともに、桜の名所となりましたが、残念ながら太平洋戦争中や戦後に薪として伐採されてしまいます。現在、私たちが見ているのは、昭和24年(1949) から再び植樹された二代目の桜なのです。
特別展では、このような権現堂堤の長い歴史を物語る資料を展示公開しました。

権現堂桜堤
権現堂堤修復絵馬(市指定文化財)
更新日:2020年07月19日