源頼朝と神宮寺の薬師如来

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更新日:2020年04月03日

 鎌倉幕府の初代征夷大将軍として有名な源頼朝にまつわる伝承が、神宮寺(幸手市南二丁目)に伝わる薬師如来の縁起書に見えています(『幸手市史 近世資料編1』No292)。
 江戸時代後期の天保15年(1844年)に、鷹尾山 誓願院 神宮寺の24世願誉本冏が記したこの縁起書は、薬師如来像をまつる萱葺き屋根の薬師堂を瓦屋根に替えるため、瓦の寄進を呼び掛ける目的で作られましたが、その内容はつぎのとおりです。
 鎌倉時代の文治年間(1185年~1190年)のこと。頼朝は、敵対する藤原泰衡を討伐するため奥州へ向かう途中で、逃げ出した秘蔵の鷹を追って当地に訪れました。鷹は、薬師堂境内の大樹に止まったままで、近臣たちが餌箱を叩いて呼んでも下りてきません。頼朝は薬師堂の堂守に命じ、鷹が手元に戻り帰るよう、仏師・春日賢問子の作とされる薬師如来へ祈願させ、自らもまた祈りました。
 すると、鷹は頼朝の左肩に飛び下ります。堂守は、それを見るなり鷹の尾羽を押さえました。鷹は、尾羽2枚が抜け落ちたものの、無事に頼朝の元に戻されたのです。これを喜んだ頼朝一行は、奥州合戦の帰陣後に、善美を尽くした七堂伽藍の寺院を建立、山号を鷹尾山と名付くよう命じ、あわせて薬師如来に誓願したので誓願院神宮寺と号したのです。

神宮寺の薬師如来

 以上が、頼朝と薬師如来の伝承です。
 2010年10月31日の日曜日、この薬師如来が12年ぶりに御開帳となりました。寅年ごとに行われるこの御開帳は「寅薬師」と呼ばれ人々の信仰を集めています。

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