養蚕が結ぶ幸手と信州上田の絆-渡辺平和先生-
幸手市北三丁目の中川右岸の堤防上に大正11年(1922年)9月に建てられた「渡邊平和君殉職記念碑」があります。
実は、NHKの大河ドラマ「真田丸」の舞台となった長野県上田市の上田城跡にも、同年11月に建てられた「故渡辺平和君殉職碑」があります。
渡邊平和は、明治28年(1895年)に長野県小縣郡神科村(長野県上田市)で生まれました。
蚕都・上田出身の渡邊平和は、長野県立小縣蚕業学校を卒業したのち、小学校の代用教員を経て、農会技術員として農業技術の指導にあたります。
大正7年(1918年)埼玉県北葛飾郡幸手町外拾五か町村組合立幸手農業学校(埼玉県立杉戸農業高等学校の前身)の書記に任命され、養蚕教師も兼務します。指導は懇切丁寧で、生徒からの信頼も厚く慕われました。
ところが 悲劇は、1919年7月17日におこりました。
生徒を引率し権現堂川(今の中川)で養蚕の道具を洗っていたところ、一人の生徒が川に落ち、溺れてしまいます。彼は、すぐさま川に飛び込み、生徒の救助に努めましたが、力尽き、生徒ともども帰らぬ人となります。享年は25歳でした。
若い命を人命救助に捧げた渡邊平和の死は、多くの人に悼まれます。そこで、郷里の信州と埼玉県内の有志が、その遺徳を後世に伝えようと県や関係町村に働きかけ、義援金を募り、幸手の権現堂堤と上田城跡に記念碑が建てられたのです。
養蚕教師として大志を抱きながら異郷の地で殉職した渡邊平和の記憶は、こうして二つの石碑に宿り、しなやかで美しい絹の糸でつくられた絆のように、今なお幸手と信州上田を取り結んでいます。


幸手市(写真左/北3丁目)と上田市(写真右/上田城跡)に建つ2つの渡邊平和殉職碑
更新日:2020年07月21日