幸手の大地の歴史-地形と地質-
幸手は、地形的な環境からみると、日本最大の平野である関東平野のほぼ中央に位置しています。広大な関東平野ですが、よく見ると全く平坦というわけではありません。海岸や川沿いの低地と、大宮台地や下総台地などと呼ばれる小高い台地が広く発達しています。
市内でも、槙野地は下総台地に位置し、西側の水田と比べると3~4メートルほど高台になっています。ここには関東ローム層という黒土や赤土があり、縄文時代と呼ばれる7千年ほど前から、人の生活がこの台地上で営まれてきました。
市域は、槙野地を除けば、すべて低地に属します。地盤高(海抜標高)は、7~10メートル程度ですが、平須賀や戸島などには、かつて市域を流れた古い河川に沿って、わずかに標高の高い部分が続いています。川が上流から運んできた土砂が堆積してできた地形の高まりを「自然堤防」と呼びます。周囲との高低差は0.5~1メートルほどで、意識しないと分からない微高地ですが、古くから人の歴史が刻まれてきました。

空から見た幸手の大地(2000年ごろ)
幸手の歴史を考えるうえでも、こうした地形や地質の特質を知ることは大切なことです。
さらに、地震や水害など自然災害を体験したり、映像で見たりすると、人間の生活は、今なお自然環境の中にあることを思い知らされます。
今年の市史講座では、いつも当たり前のように、私たちの足元にある地形や地質について、講師が詳しく説明します。これを知れば、普段の散歩道に、新たな発見の楽しみがあるかもしれませんね。
更新日:2020年06月02日