彫刻師後藤義光と諏訪神社の装飾彫刻

ページ番号 : 2261

更新日:2020年07月19日

 大正から昭和初期にかけて、幸手に後藤義光(よしみつ)という彫刻師がいました。
 本名は、高野秀吉。高野方右衛門の二男として千葉県安房(あわ)郡鋸南町(きょなんまち)上佐久間に生まれました。
 小学校卒業後、房州後藤派初代、「安房三名工」と称えられる彫刻師の後藤利兵衛 橘義光(山口利兵衛)に入門します。
 大正9年(1920)から約20年間、縁あって幸手に住み、市域をはじめ近在各所の寺社装飾彫刻を手掛けています。
市内に遺された義雄の仕事に、幸手の夏祭りの山車(だし)装飾彫刻があります。また、聖福寺の鐘楼堂(しょうろうどう)は、義雄の設計・施工によるものです。
なお、義雄の彫刻には「後藤義光」と刻銘されますが、初代後藤義光の門人系譜上は、「後藤秀吉 橘義雄」です。

義雄が手掛けた旧諏訪神社の社殿の装飾彫刻

 このたび、義雄が手掛けた装飾彫刻が施された旧諏訪神社の社殿が、市に寄贈されました。この文化財的価値は、各部に施された優美な装飾彫刻です。
 主要な彫刻の主題には、まず、「太平記」の名場面で、足利尊氏軍を迎え撃つため湊川の戦いに向かう楠正成(くすのき まさしげ)が、嫡子の正行(まさつら)に今生の別れを告げた「楠正成・正行 桜井の別れ」があります。
 次に、親孝行な若者が、この滝で酒を瓢箪(ひょうたん)に汲み酒好きの父を喜ばせたという孝子の話「養老(ようろう)の滝」。そして勤王家の高山彦九郎(たかやまひこくろう)とみられる人物像です。

【お知らせ】

この社殿と装飾彫刻は、平成30年10月に開館した幸手市郷土資料館の民具資料展示室で公開しています。ぜひ一度ご来館ください。
 

この記事に関するお問い合わせ先

幸手市郷土資料館

〒340-0125 埼玉県幸手市大字下宇和田58番地4
電話・ファックス 0480-47-2521

メールでのお問い合わせはこちらから