一年に2度の正月
現在の暦は一年を365日とする太陽暦(新暦)です。この新暦がわが国で採用されたのは明治5年(1872)のことです。しかし、長年使い慣れたそれまでの太陰太陽暦(旧暦)は、生活に深く浸透していたため、明治・大正・昭和になっても日常生活は旧暦で行われ、それは幸手でも同じでした。
そうした状況は戦後になっても変わらず、当時の役場は新暦への切り替えを積極的に進めようとしました。その様子を幸手町の広報紙の記事から拾ってみました。

「さってニュース」(1954年8月12日号)から
- 「十数年以前に新暦を用いて正月をやった処、結局二回やってしまったという喜劇となり…その時期の話題の一つとなっている…」(1952年1月号)
- 「当地方の慣習のうち一番複雑で不経済なのは「正月」の存在で、もちろん新正月でやった他に月おくれ正月も行なっている家庭が大半なようである。町教育委員会では、この不経済と不合理を考えて明三十年から「新正月」の一本やりで推進することを決議、一般家庭の協力を切望している。」(1954年8月)
- 「結局今年も、新暦正月、月遅れ正月、両方やる家、両方やらない家の四種となる」(1956年1月)
- 「栗橋、久喜、杉戸と新正月に囲まれたなかで、幸手町だけが月遅れでいるのは不自然であり、やるべきだという結論に達した」(1960年12月)
新暦正月への切り替えは昭和20年代後半に「新生活運動」の一環として始まりましたが、記事のようになかなか進まず、農村部まで浸透したのは市町村合併後の昭和30年代後半でした。
こうした幸手の暮らしの歴史に興味のある方は、『幸手市史 民俗編』を一度ご覧ください。
更新日:2020年07月19日