1947年カスリーン台風 水害見舞のお礼状
先日10枚の古い手紙が市に寄贈されました。それは昭和22年(1947年)のカスリーン台風の水害の際、お見舞い品を贈られたお礼状です。
手紙の差出人は、八代第三小学校の児童たちです。内容を確認したところ、河曲小学校という学校から学用品などの慰問袋が届けられたことが分かりました。文面には、水害の様子が書かれています。

- 「家ではゆかの上に(水が)四尺四寸あがりました」(二年生)
- 「水害の時は毎日二階で、あたりは一面水ばかりで、二階でくらした日はちょうど一カ月でした」(五年生)
- 「学校でわたしのむねまで(水が)きました」(三年生)
- 「(米が)とれなくてこまりました。やさいはもやしぐらいしかのびていません」(三年生)
など、当時の大変さが伝わってきます。
その反面、上級生が机や椅子の掃除をしてくれたおかげで、勉強できるようになったことや、贈ってもらった豆を運動会の日においしく食べたことのほか、配られた学用品を両親に見せてとても喜んだことなど、児童たちの感謝や喜びの気持ちも丁寧な言葉でつづられています。
先日、縁あってこの手紙を書いたご本人にお会いできました。お二人とも手紙のことは忘れていましたが、水害当時の学校や生活の様子など、さまざまなお話を聞くことができました。
70年近く前に自分が書いた手紙と対面し、忘れていた小学生時代の記憶が鮮明に浮かんできたそうです。当時の担任の先生もお元気とのことです。今後、聞き取り調査を進めていきたいと思います。
更新日:2020年06月02日