権現堂川を詠んだ橘守部の和歌

ページ番号 : 2202

更新日:2020年07月21日

 権現堂の桜堤の北側を東に向かって流れる中川は、かつて権現堂川と呼ばれた大河でした。その流路の一部は、権現堂調節池(行幸湖)として残されています。
もともと茨城県五霞町川妻地先で利根川の水を分派した河川であるため、江戸時代の古文書では「利根川」と表されることがよくありました。
 江戸時代に活躍した国学者の橘守部は幸手とゆかりの深い人物です。今回は、この守部が詠み遺した権現堂川の和歌を紹介しましよう。

水をたたえたかつての権現堂川の写真

水をたたえたかつての権現堂川
(故浜田得一氏撮影古写真)

とねの水
一すじあおくそめなして
いとど真しろにふれる雪かな

 文政元年(1818)12月、守部は野辺に降る雪の情景を見ようと堤に上がります。そこには、ただ一筋の利根川が―すなわち権現堂川の清冽な水の流れがあったのです。
 雪降り積もる真白な野辺を、川の水が一筋青く染めなした風景は、さながら一枚の絵を見るようです。天と地と川と、自然の無為の美に心打たれた守部の感慨を偲ぶとともに、江戸時代の権現堂川の冬の姿を伝える貴重な歌として価値あるものです(『幸手市史』近世資料編1所収No262文書『蓬壺草 文辞部』より)。

 この「雪中眺望の詞」を載せる『蓬壺草 文辞部』には、8月15日の十五夜に仲間とともに権現堂川に舟を浮かべ月を愛で、歌に興じる詩文もあります。幸手時代の守部の心情豊かな歌です。ぜひ一度ご覧ください。

この記事に関するお問い合わせ先

幸手市郷土資料館

〒340-0125 埼玉県幸手市大字下宇和田58番地4
電話・ファックス 0480-47-2521

メールでのお問い合わせはこちらから