幸手の「へび」
平成25年の干支は「巳」です。今回は、「へび」とかかわる幸手の文化財を紹介します。

上戸の蛇打ちの大蛇
まずは、大蛇です。市域の東部では、春から夏にかけて地域の人たちが持ち寄った藁で大蛇をつくり、隣の地区との境目に置く珍しい民俗行事があります。辻縄、辻切り、春祈祷などと呼ばれますが、どれも大蛇が主役の行事です。道端でにらみをきかす大蛇には、地区に病気など悪いものが入らないように、という願いが込められています。
大蛇の中でも、8月に戸島の上戸地区で行われる「蛇打ち」は圧巻です。ここでは、8月の初めに長さ30メートルに及ぶ大蛇をつくり、香取神社の社殿に一週間ほど巻きつけておき、次に「蛇引き」といってお盆の13日の早朝、正明院まで運ぶのです。
歴史的にみると、へびは弁才天の使者とされるようになります。己巳の日が弁財天の縁日とされ、幸手でも江戸時代に巳待講が行われたことが、奉納された石造物からもわかります。神扇地区の天神八幡神社には、元禄四年(1691)の「奉納巳待之供養」塔がありますが、古くから弁才天を祀る行事が行われていたことを示しています。昔から、「へびは神様のお使いだから」と言い慣わされてきたのも、こうした信仰があったからでしょう。
さて、『幸手市史 民俗編』に紹介されている幸手の小絵馬の図柄のひとつに、白蛇があります。これは、昔の農家で盛んに行われた養蚕の神である諏訪神社に、蚕の豊穣を祈願するため奉納されたものです。養蚕とへびとのつながりは、諏訪神社のご神体が竜蛇である(『神道史大辞典』)ということからなのでしょうか。

マリア地蔵1

マリア地蔵2
へびの造形を石造物に見出すこともできます。そのひとつに庚申塔がありますが、主尊である青面金剛像の頭部にへびが彫られていることがよくあります。例えば、上宇和田地区の金剛院の享保六年(1721)の庚申塔にそれを見ることができます。
さらにもう一つが、権現堂地区にある市指定文化財のマリア地蔵です。江戸時代の隠れキリシタンの信仰対象と考えられる地蔵菩薩の立像ですが、右手で抱く赤ん坊の首回りにへびの彫刻があるのです。
へびは、キリスト教の迫害時期に考案された仮託礼拝物のひとつで、聖書にも「へびのように賢くあれ」と諭されています。
このように、私たちの身近な地域の文化財に、良く探してみるとたくさんのへびが関わっているのです。
最後にもう一つ、幸手のなぞなぞをご紹介しましよう(上野勇『幸手のことば』より)。
木に縄一ちょうなぁに??
…へび…

これは、まさに蛇足でしたでしょうか。。。
更新日:2020年04月30日