市指定文化財「伝 彰義隊士横山光造所用陣笠」

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更新日:2025年03月05日

令和6年2月に市指定文化財に指定されたこの陣笠は、柳剛流(りゅうごうりゅう)剣士で彰義隊士(しょうぎたいし)の横山光造の所用品として、大字戸島の横山家に伝えられました。

(つば)が反り返った形から「端反笠(はぞりがさ)」ともいわれ、材質は革(練革(ねりかわ))で、牛革を火であぶり、または(にかわ)の水に浸して、うち固めたものです。表面は、黒色の漆が塗られ、正面には「丸に九枚笹(くまいざさ)」の家紋があります。

この陣笠の大きな特徴は、鍔の裏側に鋲止(びょうど)めされた鉄製の輪です。陣笠に、こうした部品が取り付けられていることは珍しく、戦場での防御性を高めたと考えられます。

横山光造は、安戸村二本木(現杉戸町本島)に生まれ、柳剛流剣士の松田源吾に師事し、後に蕨の岡田十内の門人の四天王に数えられた剣客です。自らも、横山派柳剛流を率い幸手宿の住人を門弟とします。

慶応4年(1868)5月に勃発した上野戦争では、「加藤光造」と名乗り、彰義隊11番隊組頭として戦い、明治2年(1869)5月に終結した箱館戦争にも参加しました。

その後、戸島に住み始めた横山光造は、新井愛太郎(八代村 初代村長・埼玉県議会 副議長)の庇護(ひご)のもと、柳剛流剣士として地元の人たちに剣道を教えながら暮らし、明治32年(1899)3月24日に81歳の生涯を閉じます。その生涯にふさわしく、戒名は「柳剛院彰義居士」です。

この陣笠は、江戸から明治へ、と移り変わる戊辰戦争期という重要な歴史的局面において、剣術という技量をもって混迷する時代を駆け抜けた横山光造の人物史を物語る貴重な歴史資料です。

同時に、通常の陣笠とは異なり防御性が高められていることは、江戸時代の陣笠研究に有用な資料でもあります。

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