端午の節供

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更新日:2024年12月21日

端午の節供は、五月の節供ともいいます。中国の古い習わしでは、5月5日に野外で薬草を摘み、病気、災厄を払う行事がありました。

日本でも、早くから宮廷行事に取り入れられましたが、江戸時代から男子の祝いとなり、武者人形や幟などを飾り、柏餅や粽を食べ、子の立身出世を願うようになります。

また、軒に菖蒲と蓬を束ねたものを飾ったことなどから「菖蒲の節供」ともいわれます。今でもこの日に菖蒲湯に入る習慣が残され私たちに親しみのある年中行事です。

菖蒲湯については、『幸手市史 民俗編』によると、幸手では、この湯に入っておくと、蛇や毒虫から身を守ことができるといわれていました。

菖蒲は、水辺に群生する多年草の植物です。葉の先端は尖り、剣状の長い葉で全体に清涼感のある香気をもつことから、古くから珍重され薬草としても用いられてきました。

剣型の葉、そして特有の香気をもつ菖蒲が、邪気を払い、疫病を除くと昔の人たちは考えたようです。

長男が誕生した初節供には、親類から鯉のぼりや座敷のぼり、吹流し、武者人形が贈られる習慣が幸手にはありました。

鯉のぼりは、嫁の里の親が一番大きな真鯉を贈ることが多かったようです。ただ、昔の鯉のぼりは紙製だったので、夜になると毎日取り込まなければなりませんでした。

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