富士山を越す龍の図
令和6年の干支は、十二支のひとつで、その五番目の「辰」ですね。もともと「辰」には、「龍」の意味はなかったようですが、日本では、これを「龍(たつ)」にあてています。なお、「竜」は「龍」の古字です(諸橋轍次『大漢和辞典』)。
龍は、想像上の動物です。体は大蛇に似て、背に81の鱗(うろこ)があり、4足にそれぞれ5本の指、頭には2本の角、顔が長く耳を持ち、口のあたりに長いひげがあり、喉元(のどもと)に逆さ鱗があります。水中または地中に住み、時に空を飛び、雲を起して稲妻を放ち、雨を呼ぶ霊力があるとされます(『日本国語大辞典』)。

富士越龍図(部分)
紹介した写真は、郷土資料館が収蔵する掛軸です。輪郭線のみで描かれた三峰の富士山を背景に、勢いよく天に登ろうとする龍の姿を画面中央に描く勇壮な構図になっています。
このように、富士山を越えようとする龍を描く作品は「富士越龍図」と呼ばれました。
江戸治時代には、狩野探幽をはじめ、谷文晁や葛飾北斎、酒井抱一とその弟子の鈴木其一など有名な画家たちが、「富士越龍」をテーマにした作品を描いています。
黄河中流の急流は、「竜門」といわれ、中国古代の聖人禹が竜門山を切り開いて通したと伝えられています。その急流に集まる多くの鯉のうち、もし登るものがあれば龍と化す、という言い伝えが中国にはあります。
ここから、困難はあるものの、そこを突破すれば立身出世ができる関門や、運命を決めるような大切な試験のことを例え「登竜(龍)門」という言葉が生まれました。
この龍を描いた絵も、登竜門の故事をもとに立身出世を願う意味が込められていると考えられます。
更新日:2024年05月08日