巻島清十郎が遺した「権現堂川廃川ノ記」
権現堂川、廃川となる
現在、「行幸湖」の愛称で親しまれている権現堂川は、昭和46年(1971)に利根川水系の一級河川に指定され、埼玉県が管理しています。
権現堂川は、もともと利根川の派川でしたが、利根川改修第三期工事で、上流の川妻(茨城県五霞町)地先が大正15年(1926)に、次いで下流の西関宿地先が昭和2年(1927)に締め切られ廃川となった歴史があります。
巻島清十郎について
北三丁目の巻島家は、江戸時代には権現堂村の名主を、明治時代には権現堂川村の村長を務めた旧家です。
同家13代目の当主が、巻島清十郎です。刀江と号しました。明治39年(1906)5月、権現堂川村の村長に就任、退職後には、北葛飾郡会の副議長となるほか、権現堂川村の村会議員をはじめ、学務委員などを歴任し、当地方の発展に尽力しています。
清十郎、「権現堂川廃川ノ記」を書く
昭和14年(1939)、清十郎が77歳のとき、「権現堂川廃川ノ記」を記します。
内容は、まず権現堂川が成立した江戸時代初期にはじまります。以降、明治時代に始まった利根川改修の結果、昭和時代の廃川まで、約340年間に及ぶ時の流れのなかで、権現堂川とともに歩んできた流域の人たちとの歴史が、約2000の文字でつづられた名文です。

巻島功司家所蔵「権現堂川廃川ノ記」(部分)
「廃川ノ記」の構成
「権現堂川廃川ノ記」は、7つの部分で構成されています。
1.権現堂川の成立過程
2.権現堂堤と権現堂河岸
3.権現堂川流域の水害史
4.権現堂堤の地震災害史
5.河川改修と権現堂川の廃川
6.桜堤の歴史
7.廃川に寄せる清十郎の思い
更新日:2023年08月02日