惣新田村と吉田村の歴史を伝える「川嶋家文書」

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更新日:2023年05月02日

川嶋家について

大字惣新田の川嶋家は、江戸時代には、惣新田村のうち上沢目喜組の名主を代々務め、明治26年(1893)から21年間にわたり吉田村の村長を務めた「川嶋庫平」を輩出した旧家です。

惣新田村と上澤目喜組

江戸時代、南北に長い惣新田村は、12の組に細分化され、これらの組ごとに名主・年寄などの村役人が置かれていました。さらに、北部の6組(三田・中新田・九郎右衛門・菅島・仁階・中瀬)は「上組」、南部の6組(高須賀・六軒・沢目喜・杉山・東川・壱ツ谷)は「下組」に分かれていました。

このうち下組に属する「沢目喜組」は、さらに「上澤目喜組」と「下澤目喜組」とに分かれ、上澤目喜組の名主を川嶋家が勤めていました。

千葉県から埼玉県へと移管された西関宿の編入手続きを伝える古文書

川嶋家文書について

同家に伝えられた古文書は、江戸時代から昭和時代までに作成されたもので、総点数は448点あり、その一部は『幸手市史』で活用され地域の歴史解明に役立っています。

江戸時代の資料では、惣新田村の開発を伝える資料をはじめ、上澤目喜組にあり虚無僧がいた普化宗「東陽寺」関係資料などがあります。

明治時代以降の資料では、葛飾県の資料をはじめ、明治27年(1894)に発生した水害からの復旧工事の資料や、西関宿の埼玉県編入の動きを伝える資料のほか、大正時代の吉田村の財政関係資料や、多少庵系の俳人 川嶋可水こと川嶋庫平の俳句関係資料などがあります。

市指定文化財に指定

令和2年3月、現当主の川嶋一孝氏から、この古文書が市に寄贈され、現在は郷土資料館が管理しています。

教育委員会では、「川嶋家文書」を市域東部に位置する吉田地区の歴史や文芸・文化を伝える貴重な資料群であることから、令和4年3月市指定有形文化財に指定しました。

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幸手市郷土資料館

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