令和4年度企画展『権現堂堤の歴史』

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更新日:2022年04月19日

権現堂堤の歴史と江戸時代の幸手と周辺の河川・用悪水路

展示期間 :令和4年4月5日(火曜日)から5月31日(火曜日)まで

休館日:期間中の月曜日

ところ : 幸手市郷土資料館(幸手市大字下宇和田58-4)

入場無料

今では、桜をはじめ四季折々の花の公園として親しまれている権現堂堤は、江戸時代には「御府内御囲堤」ともいわれ、利根川(権現堂川)の洪水から幸手を守るだけでなく、首都「江戸」の防災上、重要な役割を担っていました。

その歴史は古く、江戸時代後期に幕府が編さんした地誌『新編武蔵風土記稿』には、権現堂堤は戦国時代の天正4年(1576)に初めて築かれたと記されています。

天正18年(1590)、豊臣秀吉の命により徳川幕府が関東に入部してから、利根川や荒川などの大河川の改修が行われるようになると、河川に寄り添うように堤防が築かれていったのです。

そうした堤防の中でも、その歴史が戦国時代までさかのぼる権現堂堤は、土木史上からみても貴重な存在です。

今回の展示では、毎年恒例となった権現堂堤の歴史をつづる展示資料に加え、権現堂堤を取り巻く江戸時代の河川や用悪水について、絵図や図版で紹介したいと思います。

葛西用水と江戸川流域の領・河川・用悪水関係図(江戸時代)

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幸手市郷土資料館

〒340-0125 埼玉県幸手市大字下宇和田58番地4
電話・ファックス 0480-47-2521

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