令和5年度企画展『権現堂堤の歴史』

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更新日:2023年04月04日

権現堂堤の歴史と巻島家所蔵資料にみる権現堂川の終焉(しゅうえん)

展示期間 :令和5年4月11日(火曜日)から7月17日(月曜日・祝日)まで

休館日:期間中の月曜日(7月17日は開館)

ところ : 幸手市郷土資料館(幸手市大字下宇和田58-4)

入場無料

今では、桜をはじめ四季折々の花の公園として親しまれている権現堂堤は、江戸時代には「御府内御囲堤」ともいわれ、利根川(権現堂川)の洪水から幸手を守るだけでなく、首都「江戸」の防災上、重要な役割を担っていました。

その歴史は古く、江戸時代後期に幕府が編さんした地誌『新編武蔵風土記稿』には、権現堂堤は戦国時代の天正4年(1576)に初めて築かれたと記されています。

天正18年(1590)、豊臣秀吉の命により徳川幕府が関東に入部してから、利根川や荒川などの大河川の改修が行われるようになると、河川に寄り添うように堤防が築かれていったのです。

そうした堤防の中でも、その歴史が戦国時代までさかのぼる権現堂堤は、土木史上からみても貴重な存在です。

今回の展示では、毎年恒例となった権現堂堤の歴史をつづる展示資料に加え、北3丁目の巻島家が所蔵する権現堂川関係資料を展示し、利根川改修の結果、終焉を迎えた権現堂川について紹介したいと思います。

「権現堂川廃川ノ記」を書いた巻島清十郎は、天神島に生まれ、後に巻島家に入り、第13代目の当主となっています。刀江と号しました。青年時代、小学校教師を務め、その後、権現堂川村の村長となりました。

清十郎77歳のとき、昭和14年(1939)3月に完成させた「権現堂川廃川ノ記」は、資料や学術研究に基づき、あるいは言い伝えられた情報も取り込みながら、利根川改修の結果、廃川となった権現堂川の歴史を約2,000の文字にまとめあげた名文です。

 

『権現堂川廃川ノ記』(左掲)と執筆者 巻島清十郎(刀江)

 

 

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幸手市郷土資料館

〒340-0125 埼玉県幸手市大字下宇和田58番地4
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