水の文化
稲作
幸手では昔から稲作が盛んで、それにまつわる文化も伝わってきました。
稲作は、水を治めようとした歴史とともに発展しました。水田や用水は、昔の人々の多大な努力や 技術、投資の遺産といえます。
水とのふれあい
水とのふれあいは、今も昔も子どもから大人まで、人々の大きな楽しみです。昭和30年代までは自然の豊かな風景があり、川で泳ぐこともできました。
大正10年の琵琶溜井
出典:幸手歴史物語川と道
大正時代の権現堂川
出典:幸手歴史物語川と道
かつては魚取りが日常的に行われ、捕れた魚は大切な食材でした。中川や江戸川、大小の池が良い漁場であったし、 小さな用水路にもウナギがおり、水田にはドジョウがたくさんいました。
中川のフクロアミ漁
出典:幸手歴史物語川と道
治水
利根川の低地は洪水がよく起こる土地で、多くの財産や命が犠牲となったため、人々はなんとか水害を防ごうとしてきました。その歴史は消えることなく、様々な形で今に伝えられています。
権現堂堤の順礼の碑
出典:幸手歴史物語川と道
駅前の電柱にあるカスリン台風の増水位
出典:幸手歴史物語川と道
水辺に暮らした人々や船頭たちは、水神を信仰するようになりました。水神を祀った社や祠、石碑が今も多く残っています。
主な水神の分布
出典:幸手歴史物語川と道
水塚
水塚(みつか)は、洪水時の避難場所として土を盛って高くした施設で、その上には食料や家財道具を保管する蔵が建てられました。市内には、まだ水塚をもつ屋敷がいくつもあります。
更新日:2020年03月25日