水の文化

ページ番号 : 6606

更新日:2020年03月25日

稲作

   幸手では昔から稲作が盛んで、それにまつわる文化も伝わってきました。

水田

    稲作は、水を治めようとした歴史とともに発展しました。水田や用水は、昔の人々の多大な努力や 技術、投資の遺産といえます。

水とのふれあい

幸手の川

    水とのふれあいは、今も昔も子どもから大人まで、人々の大きな楽しみです。昭和30年代までは自然の豊かな風景があり、川で泳ぐこともできました。

大正10年の琵琶溜井

大正10年の琵琶溜井

出典:幸手歴史物語川と道

大正時代の権現堂川

 大正時代の権現堂川

出典:幸手歴史物語川と道

    かつては魚取りが日常的に行われ、捕れた魚は大切な食材でした。中川や江戸川、大小の池が良い漁場であったし、 小さな用水路にもウナギがおり、水田にはドジョウがたくさんいました。

satte-riv12

中川のフクロアミ漁

出典:幸手歴史物語川と道

治水

    利根川の低地は洪水がよく起こる土地で、多くの財産や命が犠牲となったため、人々はなんとか水害を防ごうとしてきました。その歴史は消えることなく、様々な形で今に伝えられています。

権現堂堤の順礼の碑

権現堂堤の順礼の碑

出典:幸手歴史物語川と道

駅前の電柱にあるカスリン台風の増水位

駅前の電柱にあるカスリン台風の増水位

出典:幸手歴史物語川と道

    水辺に暮らした人々や船頭たちは、水神を信仰するようになりました。水神を祀った社や祠、石碑が今も多く残っています。

主な水神の分布

主な水神の分布

出典:幸手歴史物語川と道

水塚

    水塚(みつか)は、洪水時の避難場所として土を盛って高くした施設で、その上には食料や家財道具を保管する蔵が建てられました。市内には、まだ水塚をもつ屋敷がいくつもあります。

この記事に関するお問い合わせ先

環境課

〒340-0123 埼玉県幸手市大字木立1779-5
電話 0480-48-0331 ファックス 0480-48-2226

メールでのお問い合わせはこちらから