関東平野について

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更新日:2020年03月27日

日本列島とは

    日本列島は、アリューシャン列島からニュージーランドに至る、太平洋を囲む弧状列島のうちのひとつとして発達したものです。このため列島全域にわたって列島方向に連続した山地が多く、火山を含む山地の占める割合は、国土の約65パーセントにも達しています。

    平地は山地で囲まれた盆地の形で山地の間に散在し、一般に平野と呼ばれているものは、それらのうち海岸縁辺に発達したものに限られ、ほとんどが規模の小さい盆地にあたります。こういった日本列島において関東平野は最も規模が大きく、成因的にも特異な性格をもっています。

関東平野の姿

   関東平野の北方には阿武隈・八溝・越後山地、西方には関東山地、南方には房総半島と三浦半島があります。さらに山地の前面には多摩・比企等の丘陵と武蔵野・下総等の台地が広がり、台地の前面は低地が発達しています。

【関東平野の平地の分類】 

関東平野の平地の分類
東部台地群 利根川下流部を境にして、北に広がる常陸台地等の台地群と、南に広がる下総台地に分かれている。さらに北部の台地群は鬼怒川・小貝川等がつくる谷底平野や霞ヶ浦・北浦等の湖沼によって常陸(行方・鹿島)・筑波(新治・稲敷・猿島)の諸台地に分かれている。南の下総台地には縄文海進により印旛沼や手賀沼などの湖沼ができた。
中央低地帯(幸手市域の大半が含まれる) 最大幅が30キロメートル程度で前橋付近から北西-南東方向に向いているが、幸手市域で南北方向へ変わり、東京湾に達する。利根川・荒川・渡良瀬川等が流れ、大宮台地が分布する。
西部台地群 入間川等の荒川支流や多摩川が流れ、武蔵野台地・入間台地・櫛引原等の諸台地が分布する。

関東平野の形成

    258万年程前以降の時代を第四紀と呼び、そのうち1万年程前までの時代を更新世と呼びます。
    更新世において、寒い時期(氷期または氷河期)には氷河が発達することにより海水が減って陸地が増え、暖かい時期(間氷期)には氷河が溶けることにより海水が増えて陸地が減るということが繰り返しました。
    その中で、海底では土砂や生物の死骸が堆積し、陸地では河川が運ぶ土砂の堆積や河川による浸食が起こり、また火山の噴出物が降り積もったりした結果、台地や河川・谷といった関東平野の骨格ができました。
    富士、浅間、赤城、男体などの周辺山地の火山活動による噴出物の堆積は関東ローム層となり、関東地方の台地や丘陵地・山地に存在しています。

【関東平野の平地の成立過程】

関東平野の平地の成立過程
更新世下末吉期 13万~12万年程前 海面が高く、西部や北部の山麓まで海が入り込んでいて、古利根川・古荒川・古多摩川といった河川がそこへ流れ込んでいた。海底では土砂や生物の死骸が堆積した。
更新世武蔵野期 10万~5万年程前 海面が少しずつ低くなって海岸線が退き、現代とほぼ同じ位置に古東京湾があり、利根川がそこへ流れ込んでいた。古鬼怒川は東方の鹿島灘に向かって流れていた。この時期以降、山麓や谷には砂礫が堆積し、現在の台地を構成する段丘堆積物となった。
更新世立川期 3万年程前 海岸線の後退が最も大規模だった時期で、現在より広い台地に現在と同じ河川の前身が流れ、台地が削られ谷がつくられた。
完新世
縄文時代早期・前期
1万~5000年前 海面が高くなり、東京湾や鹿島灘の方から台地の谷へ海が入り込み(縄文海進)、旧利根川流域に奥東京湾、旧鬼怒川流域に古鬼怒湾といった小湾をつくっていた。これらの海は後の弥生時代以降に河川が運ぶ土砂等で埋まり、沖積低地となった。幸手市域のほとんどがこの沖積低地である。

出典:幸手市史自然環境編

埼玉県の地質の特性

埼玉県の地質の特性

出典:埼玉県環境管理指針

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