地形と土地利用
幸手の地形
幸手は、埼玉県の中川低地と呼ばれる地域にあります。槙野地地区に分布する台地は宝珠花台地の一部で、大きくは野田市域から続く下総台地に属します。

埼玉県の地形概況図
出典:埼玉県環境管理指針
河川がつくった地形
今の幸手の地形は河川の力でつくられてきました。
河川は上流から土砂を運んで下流で堆積させます。流速が速いと粒子の大きなれきや砂も運ばれますが、流速が遅くなると粒子の大きなものから順に堆積していきます。
平野を流れる河川が大雨などで流量が増すと、普段より多くの土砂が下流に運搬されます。しかし河川の水が河道からあふれるほどになると、そこで流速は急激に低下し河道の外側に砂などが堆積します。氾濫を繰り返すと河道の外側に周囲よりわずかに高い砂地の土地ができます。これを自然堤防と呼びます。
自然堤防が発達すると一度あふれた水が河川にもどりにくくなるため自然堤防の背後には水はけの悪い土地や池ができます。これを後背湿地と呼びます。
自然堤防の模式図
土地利用
昔の人々は集落や畑を、水はけがよく地盤が安定している自然堤防の上に作りました。幸手の古くからの中心市街地は、高須賀から市街地南部の南二丁目まで続く大きな自然堤防上にあります。
また、水路を掘って後背湿地を開拓し水田を広げてきましたが、それには多くの労力と時間が必要でした。中でも沼のような低湿地では、堀上田という特殊な方法で水田がつくられました。低湿地をさらに掘り下げて掘(堀り潰れ・クリーク)をつくるとともに、掘った土を両側に盛って微高地をつくり、そこに稲を植えました。堀は網の目のようにつながり、作物・肥料などを船で運ぶ水路や、用水・排水路となっていました。旧渡良瀬川の川筋と中川(庄内古川)の間にある神扇地区は典型的な低湿地帯で、1576年に権現堂堤がつくられて旧渡良瀬川がなくなった後も水の引かない土地でしたが、17世紀以降に堀上田がつくられました。昭和40年代に近代的な改良工事がなされ、現在の姿となりました。

掘上田の模式図
出典:幸手市史自然環境編

昭和40年代のノロアゲ(流れ出た土を掻き揚げる作業)の様子)
出典:幸手市史自然環境編
更新日:2020年01月23日