地形のなりたち

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更新日:2021年01月08日

幸手の位置と高さ

    幸手の市域は、関東平野の利根川流域にあり、最も標高が高い所は外国府間地区で15.9メートル、最も低い所は戸島地区の4.7メートルで、その標高差は11.2メートルと全般的に低く平らな地形となっています。

幸手の位置と高さ
東経 北緯 面積 東西距離 南北距離 最高海抜 最低海抜
139度43分 36度4分 33.93平方キロメートル 8.8キロメートル 7.6キロメートル 15.9メートル
(外国府間地区)
4.7メートル
(戸島地区)

    平均的には、市域北部で9メートル前後、南部で6メートル前後と、北から南にかけて緩い傾斜を持っており、市域のほとんどは低地に分類されます。
    市域東部の江戸川沿いの槙野地地区は、野田市域まで続く下総台地の一部であり、低地との標高差が2メートル程あります。

低地とは

    低地は河川の力が大きく働くところで、昔は沼や湿地が多くありました。
低地の地質は沖積層と呼ばれており、関東平野が海だった頃や、河川が氾濫した時に積もった砂や泥などから出来ています。

台地とは

    槙野地地区に分布する台地は、低地より古い更新世(180ー160万年前から1万年前)の地層が主体となってできており、地表を関東ローム層が被っています。関東ローム層とは、火山灰から形成された関東地方に分布する地層で、赤土と呼ばれています。台地は低地の地層の下にも埋没しています。
    関東平野では幸手付近を中心に沈降運動(造盆地運動)が生じているため、台地が沈んで埋没し、低地との高さの差がはっきりしなくなっています。上流から多くの河川が集まってくるのも、この沈降運動の影響です。

地質

    約1万2000年前に縄文時代が始まり、徐々に海面が上昇して関東平野の奧へ海(奧東京湾)が広がる縄文海進と呼ばれる現象がありました。そのため、約5000年前には幸手の付近はこの海の底で、海辺であった槙野地の台地に人が暮らしていました。槙野地原遺跡はその跡です。

約5500年前の海岸線と主な貝塚の分布

約5500年前の海岸線と主な貝塚の分布

出典:幸手市史通史編


    市域の大部分を占める低地は完新世(約1万年前~現在)の地層(沖積層)から成っており、未固結(岩石になっていない)の柔らかい地層が地下30メートル付近まで分布しています。沖積層では、貝殻を交えたシルトや粘土の層の上部に、河川が運んだ砂・シルト・粘土の層が重なっていることから、低地は浅い海(奥東京湾)が河川の土砂で埋まって形成されたと考えられています。

沖積層断面図

沖積層断面図

出典:幸手市史通史編)

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