郷土資料館 令和6年度エントランス展示・屋外展示『江戸の粋 変化朝顔と幸手』

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更新日:2024年09月19日

展示場所:幸手市郷土資料館 エントランス内および屋外

『江戸の粋』 を今に受け継ぐ変化朝顔

江戸時代大ブーム

江戸時代の文化・文政期に、植物の変わった種類を集めて鑑賞する趣味が人々の間に広まり、栽培ブームが起こります。江戸時代の終わりごろには、さらなる栽培熱の高まりを見せ、とりわけ朝顔にかける情熱と栽培技術はとても高かったようです。

明治時代ブーム再来

明治時代に入ると一時朝顔の栽培は衰退しますが、明治時代中頃から、再び注目を集めます。日本各地に残っていた種類が集められ、朝顔の愛好会が結成され、優劣を競い合う品評会も開かれるようになったそうです。

見どころ満載

朝顔の鑑賞には、「大輪朝顔(大輪咲き)」のように、花の色や模様の大きな花が咲くものと、「変化朝顔(変化咲き)」という花や葉の形の変化を楽しむものとに分けられます。

明治時代に変化朝顔ブームが幸手に到来!

明治26年(1893)「あさかほ穠久会(じょうきゅうかい)」創立

東京で最初の朝顔の同好会「あさかほ穠久会」が設立されました。当初少なかった会員も増え始め、明治33年(1900)に会誌『あさかほ穠久会雑誌』が発行されます。

明治29年(1896)「一六会」創立

明治29年7月23日、同好者が集まり、最初は「末広会」とし品評会を開き、その後「一六会」と会の名前を改めました(この時期を「明治27年頃」とする見解あり)。毎年、朝顔が咲く時期の16の日に品評会を開いたことに由来します。

「一六会」「幸手支部」

本部は東京の四谷にあり、明治29年に機関紙『第一回 一六会報告』を発行していますが、「幸手支部」があったことは注目されます。このほか、麻布や青梅、八王子をはじめ、名古屋や静岡にも支部がありました。

雨に打たれ、しおれてしまった朝顔を花手水にしたところ、このようになりました。

屋外に展示している変化朝顔は、青木隆徳さんのご厚意で提供いただいています

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