昭和30年頃の幸手

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更新日:2020年01月07日

    少し昔の環境や産業、生活を振り返ってみると、昭和30年頃から現在までの間にとても大きく変わったことに気付かされます。昭和30年頃とは、日本が第二次世界大戦の打撃から立ち直り、高度経済成長によって生活が豊かになりつつあった一方で、自然破壊や公害への対策が迫られるようになった時期にあたります。その頃の幸手には、まだ昔からの街並みや農村の生活がみられました。

昭和30年代の大通り

【昭和30年代の大通り】

出典:幸手歴史物語、川と道

幸手幼稚園児の交通安全運動

【幸手幼稚園児の交通安全運動】

出典:幸手歴史物語、川と道

    昭和35年10月の風景です。第二次世界大戦後、モータリゼーションの波は急速にすすみ、この頃になると、国産の大衆車が普及していきました。そして交通事故の死者は年間1万人を超え、「交通戦争」という言葉が広まりました。

西関宿の船橋

【西関宿の船橋】

出典:幸手歴史物語、川と道

 

    手前と対岸に乗り合いバスが見えます。橋を歩いて渡る人々はバスを乗り換える乗客のようです。

天王寺様の祭りの御輿

【天王寺様の祭りの御輿】

出典:幸手歴史物語、川と道

    昭和27年の旧上高野の風景です。未舗装の街道を神輿が進んでいきます。

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