希少なお米「白目米」(しろめまい)とは

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更新日:2024年04月23日

白目米

江戸時代、幕府への上納米の中でも「食味優良にして他の上納米は遠く及ばず」と評価の高かった「白目米」(しろめまい)。現在ではほとんど姿を消してしまいましたが、幸手市ではわずかながら栽培されています。

当時、日本一おいしいと言われた“幻のお米”そんな「白目米」をご紹介します。

◆白目米の食味等の特徴

・食味は、独特の芳香があり、粘りがありながらもパラッとしており、口に含むと甘みが広がり、極上の味わいがあります。

・小粒で、炊きあがりがべとつかず、カレーやうな重等に最適です。

・カレーでは、ソースが一粒一粒にからまり、味を引き立ててよりさっぱりとおいしく感じられます。

◆白目米の歴史

・江戸時代の元禄11年(1698年)から行幸村(現在の幸手市北部)を治めていた牛込忠左衛門が、特に選んだお米を幕府に上納したところ、食味がよく、他の上納米はこれに遠く及ばないと評判であったため、その後は行幸村で栽培を奨励したのが白目米の始まりです。

・その後は近隣に広まり、江戸時代は「武州幸手特産白目米」として幕府上納米の中でも名声を博していました。

・明治時代になるとさらに需要が高まり、「白目米」の銘柄が東京市場でも認められ、幸手町を中心に数千俵を算出するに至り、遠隔地からも養生米として注文が殺到するほどでした。

・白目米は収量が少なく、実が脱落しやすいため、明治33年の大暴風雨では大変な被害を受け、以後栽培が減少してついには行幸村だけとなってしまいましたが、村では県と協力して栽培を奨励しました。

・昭和6年に県が調査を行い、行幸村の中央部を流れる北側用水沿いの千塚、円藤内地区の一部が砂質土壌で白目米の最適地であるとの認められたことから、行幸村ではさらに栽培を奨励し、後に「宮内省御納米」となりました。

・昭和8年において、白目米の栽培面積は8町歩(8ha)、産額は玄米500俵(3万kg)でしたが、戦中戦後に食糧増産政策が優先され、収量が少ないことから、次第に姿を消してしまいました。

・白目米の販売では、当時東京市新宿にあった中村屋と特約を結んでいました。中村屋は、創業当時(昭和2年)からインドカリーに幸手産白目米を使用していたということです。その後、使用は中断していましたが、平成10年に創業70周年記念として、白目米(幸手産ではないもの)を使ったインドカリーの復活事業を行いました。

・市内上吉羽住の石塚さんという方が、上記白目米の種を3穂中村屋からいただき、同年から栽培を開始し、現在に至っています。43粒の苗を春に田植えし、秋には560gの収穫を得ました。

・この報道や反響により、幸手市では幸手産白目米の復活を決定し、埼玉県農業試験場から白目米の保存種子を譲り受け、翌平成11年から作付けを開始いたしましたが、他のお米に比べて栽培が難しく、収量も少ないため、作付けをする農家は減ってしまいました。

◆白目米の特性

白目米干し

・白目米は、市内で多く栽培されているコシヒカリに比べて丈が20cm位高く、倒れやすくて脱粒もしやすいため、収量も少なく栽培が難しいです。

白目米稲

・市内のお米の収量は、コシヒカリが10a当たり約500キログラムであるのに対し、白目米は約330キログラムとなっています。

◆白目米を食べるには

・幸手市の白目米は、ほとんど流通していないのが現状ですが、わずかながら入手できる場合があります。詳しくは幸手市役所農業振興課までお問合せください。

・また、幸手市のふるさと納税の返礼品にもあります。

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出典:埼玉県の県史、新宿中村屋ホームページ

この記事に関するお問い合わせ先

農業振興課

〒340-0192 埼玉県幸手市東4-6-8
電話 0480-43-1111 内線535 ファックス 0480-43-1123

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