木村純夫市長コラム
令和6年4月市長コラム「「辛⇒幸」プラスワン」
令和6年3月市長コラム「幸手総合公園の「メタセコイヤ」」
令和6年2月市長コラム「令和6年能登半島地震」
令和6年1月市長コラム「「近き者悦(よろこ)べば 遠き者来(きた)る」(孔子)【今年の干支は、めでたい兆しの龍です】」
令和5年12月市長コラム「「異次元の市役所」と言われるように」
令和5年11月市長コラム「神永とヘーシンクの柔道精神(五輪柔道)」
令和5年10月市長コラム「「柿の日」と「日本の四季」」
令和5年9月市長コラム「核兵器の悲惨さを伝える原爆ドームから」
8月5日と6日、4年ぶりに「平和の作文集」入選の中学3年生6名を引率し、広島市平和記念式典に参加してきました。山口恵司氏(被爆体験伝承者)から、78年前の原爆投下の日の様子などがスライドを使い鮮明に語られました。被爆の悲惨さ・残虐性に胸が押しつぶされる思いでした。そして、平和祈念式でのこども代表男女2人の「平和の誓い」に目頭を熱くした参列者が何と多かったことか。
世界情勢は、ロシアのウクライナ侵略が未だ終息をみないばかりか、世界の至る地域で戦争・紛争・内乱などが絶えない。今年5月、広島での先進7か国首脳会議で各国は、核のない世界に向けた「核の不使用」は確認したものの、「核兵器廃絶」への具体的な道筋は示せませんでした。今年の平和の作文集の中に「私の思う平和な世界は、戦争などで罪のない人が殺されず、安心して暮らせ、日常生活を普通に過ごせる日々が続くこと」とあります。広島・長崎に続く「3度目の核兵器使用」は絶対に許されない!!
令和5年8月市長コラム「教養(心の豊かさ)」
儒教に「才なく知もなくも、徳や情があれば、人間まちがいなし」の教えがあります。「教養」とは知識の量でなく、相手の気持ちが解ること(人に対する優しさ・感謝・温かい心・慈しみ・包容力・・・・)。そして他人と共通の立場に立って考える能力こそが真の教養と言えます。いつの時代においても、このことが一番重要なことです。
1918年、東北人として初の首相に就任した偉大な政治家:原敬(平民宰相と呼ばれた)の座右の銘は「宝積」。宝積は「人に尽くして見返りを求めない」、「人を守りて己を守らず」という意味で、原敬は極上の教養人だったと思われます。私は地元の書家にお願いし、したためた「宝積」の文字を毎朝眺めてから、一日の仕事を始めます。
(余話)随分と旧聞に属する話ですが、ある先輩から「キョウヨウ」(今日用事がある)と「キョウイク」(今日行く所がある)が高齢者には大切!と伺ったことがあります。
令和5年7月市長コラム「「江戸川クリーン大作戦」に参加して」
令和5年6月市長コラム「病は気から」
私は、丸10年間の病院勤務生活で、医療知識について幾分「門前の小僧習わぬ経」を読みました。同じ薬でも患者さんがそれを「効果ある」と信じて飲む時と「効くものか」と思って飲む時や、医師との信頼関係の疎密により、効果や治癒力に差違を生じる事が知られています。そして、病気は医師のもと、しっかり病を治す事が何より大事ですが、病は単に肉体だけに関するものではなく、心にも関係しています。「無病息災」に越したことはありませんが、私は「一病息災」も大切にしています。「一に看病、二に薬」の諺もあります。健康の健は「すこやか」と読み肉体を、康は「やすらか」と読み心を表します。「病は気から」は、「病気は気で勝つ。百病は気から起こる」とも言います。随分以前の話になりますが、作家の五木寛之氏の講演が宇都宮市であり、「やるせない時は遠慮せず、大きなタメ息を何回かつく事」を推奨されていました。「笑う門には福来る=笑いは人の薬」。
令和5年5月市長コラム「「さくらマラソン」と「Process」(過程・経過)」
4月2日(日曜日)、長らくコロナ禍の影響により中断を余儀無くされていた待望の「幸手市さくらマラソン大会」が4年ぶりに10Kmコース1本に絞って開催されました。募集人員1,000人に達するかの懸念は、受付開始間もなく募集定員に達し、杞憂でした。一人の怪我人も無く、大会が無事終了し、安堵。改めて沿道の応援者を含む多くの関係者のご尽力ご協力に対し、心から感謝を申し上げます。
「終わり良ければ全て良し」の言葉がありますが、今大会で「プロセス」の大事さを強く思いました。私も完走を目指して、足首に錘を装着して歩行し、また宇和田公園で石段昇降等をやり、驚く程脚力がアップしました。更に、ランニング中に仕事の新鮮なアイデアが浮かんだり、ストレスの解消、食事が美味しい等々良いことづくめ。完走した事よりはるかに沢山の収穫があり、健康寿命が少し延びた感じがします。西洋の格言にあるように「二本の足は、二人のお医者様」です。
令和5年4月市長コラム「先人木を植え 後人涼をとる」
これは、将来のことを見据えて行動する大切さを伝えると共に、日々の生活を送る様々の場面で、先人の功績や恩恵に浴していることを示しています。
この顕著な例が全国の自治体の中で唯一「幸」がつく幸手市の「権現堂桜堤」です。
先月、民放のTV番組で幸手特集がありました。(幸手市の魅力を改めて見直したのは、私だけではないと思います。)これを契機に、幸手市を、そして関東有数の桜の名所である権現堂桜堤に多くの方々が訪れていただきたい!!
権現堂桜堤の歴史を少し。
桜堤が初めて築かれたのは戦国時代(1576年)。明治9年には、明治天皇の行幸がありました。数千本の大樹で桜花爛漫を競った権現堂桜堤は、太平洋戦争末期には、その殆どが燃料の薪として伐採されてしまいました。
しかし、桜を愛する不屈の精神は地元の有志達により蘇り、見事復活しました。私達が観ているのは、昭和24年から再び植樹された二代目の桜です。
この郷土の誇りである桜を子子孫孫まで守っていくのが、私達の役割です。
令和5年3月市長コラム「秩父事件~ロシアウクライナ侵略」
明治の1880年代、東日本を中心に自由民権の炎が燃え広がり、福島・高田・加波山・飯田事件等、自由党急進派による激化事件が多発しました。秩父事件もその1つ。1884年(明治17年)、悪徳の金貸しや政府の失政を批判し、貧民の救済を訴えて起こした、日本近代史上最大の農民蜂起です。その秩父事件が映画化(タイトル「華の乱」)され、2005年に私が責任者となり、地元で上映会を開催しました。(収益金は社会福祉協議会へ寄付)
時は移り、全く別のものではありますが、ロシアのウクライナ侵略は、今年に入っても、未だ終息の見通しもつかず、むしろ一層激化の様相すら呈しています。そして、この悪影響は世界中に拡大し、エネルギーの高騰・食料危機に止まらず、深刻・悲惨極まりない事態を惹起しています。今年5月に広島で、先進国7ヵ国首脳会議(G7サミット)が開催されますが、改めて世界の永久不変(恒久平和)を切に願わずにいられません。
令和5年2月市長コラム「筑波登山」と「さくらマラソン」
昨年、暮れも押し詰まった30日、久しぶりに孫5人(10人の孫の半分)達と筑波山(877m)登頂をしました。筑波山神社にお参りしスタート。
男坂から登り始めましたが、とても辛く歩き始めて30分も経過しないで「足手まといにならないうちに下山しよう!」と弱気になりました。それでも我慢して歩いていたらウソの様に元気が回復し、先頭で山頂にゴール。快晴の山頂からは、360度のパノラマが展開。霞ヶ浦・日光連山・上毛三山・富士山・さいたま副都心が眺望できました。
一番幼少の小1の女子は、自力での登山は無理と懸念していましたが、終始笑顔を絶やさず軽快な足取りで、逆に「おじいちゃん大丈夫?」と励まされてしまいました。(苦笑)流石に山頂は肌寒く、持参したオニギリを早々に頬張り下山。帰宅しての反省夕食会は、和気あいあいとなりました。
今年の4月2日には、4年ぶりの「第30回幸手市さくらマラソン大会」が開催されます。筑波山登山での自信で、10km(制限時間80分以内)の完走を目標にエントリーしました。
令和5年1月市長コラム「気宇壮大な願望・目標を!」
昨年、22歳で三冠王獲得や日本選手のシーズン最多となる56本塁打、5打席連続本塁打など数々の記録を残したプロ野球・村上宗隆選手。シーズン後半、私が懸念していた事が的中してしまった。
「残り試合からしてホームランの日本記録(61本)は間違いなく越えられる」との周囲の予測の中、私はややもすれば達成困難!と読んだ。その答えは、村上選手自身のシーズン終了後の懐古談にありました。
『50号を打った頃に、王さんに並べるくらい打てればいいかなという目標を立ててしまった。自分にもっと期待して、60号・61号という目標を立てておけば、また違う結果が生まれたのかと思う。そこは一つの後悔』と悔しさをにじませている。
天と地以上の差のある話ですが、私も高校一年生の時に柔道部の顧問から、「木村を埼玉県一にしてやる」と言われ、結果そうなりました。
もし、日本一にしてやる!と言われていたら・・・。願望・目標は途方もなく高い次元程良い!!やる気さえあれば何でもできる!!
令和4年12月市長コラム「私の青春」
「青春とは人生のある期間をいうのではなく、心の様相をいうのだ」 サミュエル・ウルマン
私は小1~高3までの12年間皆勤賞でした。大学4年の夏、東京から青森の十和田湖まで自転車で、およそ2,000キロメートル、ほとんど野宿の旅をしました。卒業少し前に結婚し、新婚旅行は大宮の式場から、自転車で関東一円を10日間かけて巡りました。アフリカのザイール(現コンゴ民主共和国)赴任当時の1978年、柔道の先輩と二人で猛暑の中、州都ルブンバシのゴルフ場で、1日5ラウンド(90ホール)を12時間かけて達成!(医者の叱責を受けました)。大阪勤務時97KOBE六甲全山縦走大会に挑戦。早朝、須磨浦を神戸市長の太鼓の合図でスタートし、深夜に宝塚ゴール。約56キロメートルを完走しました。
往時茫茫。昨今は、年齢に依る衰えは如何ともしがたく、努めて毎日のテレビ体操、通勤は徒歩または自転車、休日の散歩・ジョギング、読書等を欠かさないよう心掛けて生活しています。
令和4年11月市長コラム「(信号機のない)横断歩道」
「(信号機のない)横断歩道」
今年の8月19日沖縄で、「横断歩道に車 保育園児7人ケガ」。交通量が多く、信号機のない横断歩道を何事もなく渡り切るには、相当の覚悟・勇気がいります。日本はまだまだ車優先社会と感じられ、これでは歩行者に優しくありません。
横断歩道は、「車道を横断する歩行者の安全を守るために設けられた道路区域であり、信号機のない横断歩道を歩行者が渡ろうとしたら、ドライバーは必ず横断歩道の前で一時停止し、歩行者に進路を譲らなくてはいけない。停止しなければ、道路交通法違反となる」。「学童が手をあげて横断歩道を渡り、車は両車線ともきっちり停車する。そして、渡り終えた学童は車のドライバーにお礼のお辞儀をする。ドライバーも思わずニッコリする」。そんな清々しく微笑ましい光景が幸手市内でも、日常茶飯事になってほしい。いつだって、歩道や横断歩道は歩行者優先!因みに、海外では強制的に減速させる『ハンプ』(ラクダのコブの意)の顕著な地域があります。
令和4年10月市長コラム「南十字星と中秋の名月」
1975年から丸4年間、ほぼ南半球にあるコンゴ民主共和国で、銅鉱山開発に携わっていました。
毎夜、空を見上げると満天の星。そこに北斗七星はなく南十字星が。(寂寥感から、日本が恋しく、落涙の日も!)
市内に、一年中天体を観察されている中村先生という方がおられます。空の知識のない私に、朝晩の月・太陽の黒点の動き・星座の話等々、詳細に解説して下さいます。
埼玉県の三偉人の一人、塙保己一は若くして失明しましたが、驚異的な暗記力で学問をきわめ、大文献集の「群書類従」の編さんを成し遂げました。
保己一は、ある秋の夜、月見の宴を張りました。
空を眺める楽しげな人々の声をきき「花ならば手にとりて見ん今日の月」と詠みました。すかさず、傍にいた保己一の妻が「明月や座頭の妻の泣く夜かな」と優しく返歌したそうです。
月夜に照らされた美しい座頭の妻が、夫に代わり我が目を潤ます姿に、秋の訪れを感じます。
今年の中秋の名月(十五夜)は、9月10日。とてもとても大きな明るく輝く月を、ススキと月見団子とお酒で愛でることができました。
令和4年9月市長コラム「広島平和記念式典に参加して」
8月6日(土曜日)、市長に就任して初めて、77回目の原爆忌を迎えた式典に参列しました。
ロシアがウクライナ侵攻を開始して約半年が経過、なお長期化の様相を呈しています。
広島平和記念資料館「熱線による被害」によると、「原爆が爆発したときの爆発点の温度は数百万度となり、空中に発生した火球は1秒後には直径400メートルを超える大きさとなりました。この火球から四方に出された熱線は、爆発0.2秒後から3秒までの間、地上に強い影響を与え、爆心地周辺の表面の温度は、3千度から4千度にも達しました」。
来年5月、広島で先進7か国(G7)サミット開催が予定されています。人類は大戦の惨禍を経て、世界の恒久平和を希い国際平和機構を作りましたが、国際連盟、国際連合いずれも十分に機能していません。
危機は戦争に至る前に地域の諸国が連携して解決すべきもの。
唯一の被爆国である日本の果たすべき役割はある!
令和4年8月市長コラム「水H₂O」
「水」は人間生活ばかりか、工業・農業・発電等に欠かす事のできない重要性をもつ一方、洪水(渇水)災害を引き起こします。閑話休題。砂漠の国であり、世界有数の産油国アラブ首長国連邦のアブダビで石油資源開発事業に従事していた時、「深井戸を掘れば水が出るのではと淡い望みで井戸を掘ったが、やはり石油しか出なかった!」というエピソードを耳にしました。アブダビでは、海水を真水にし、更に必要なミネラル分を加え、生活用水を製造している。(ガソリンより高値?)地球の水の量は約14億㎦。水の97.5%が海水。従って、約2.5%が淡水。さらに、淡水の約70%が南極の氷。その他、地下水をのぞき、私達が生活で利用できる淡水は、地球の水のわずか0.01%(10万㎦)程度です。人体の主要成分の70%は水。改めて、生物の源である「水」に想いを馳せつつ、猛暑続きの今夏、万一の異常気象に備え、「幸手市洪水ハザードマップ」を妻と読み返し、「マイタイムライン」の見直しをした次第です。
令和4年7月市長コラム「人口」
幸手市の人口は、昨年5万人を割りましたが、今年5月1日現在(前月比)17人増加しました。(一寸嬉しい)国の2021年人口動態統計によると、一年間の出生数は81万人で、第二次ベビーブーム時の約三分の一。合計特殊出生率は1.30。(埼玉県は1.22、世界200位弱、希望出生率は1.8)アフリカ諸国は、ほぼ4~6の水準。欧州ではフランスが1.8で大健闘!人口減少に歯止めをかける「魔法の杖」は有りません。生活様式・生き方・働き方、子供の教育等の多様化により、人口問題は複雑化しています。
今後の人口減少に対する、国の積極的な諸政策の展開を期待する所ですが、一方、各自治体は、単なる補助金合戦に明け暮れし、過剰な人口の奪い合いをしている場合ではありません。
幸手市は、市民の皆さまが、安心・安全・健康で暮らせる魅力あるまちづくりの為、人口減少に歯止めをかけるべく、行政としてより一層の努力を、倦まず弛まず続けて参ります。
(厚生労働省ホームページ参照)
令和4年6月 市長コラム「戦争と平和」
ロシアのウクライナ侵攻の惨状は言葉になりません。私は、1975年から丸4年間、アフリカのザイール(現コンゴ民主共和国)で銅鉱山開発に従事しました。その間、二度に亘り国内戦争が勃発し、多勢の人々が殺戮されるのを目のあたりにしました。
いつの世も、戦争の被害者は、戦争の渦中にある何の罪もない国民です。
1990年初頭、石油開発の為、中東アブダビに赴任した前後に、イラクのクウェート侵攻がありました。中東の歴史もまた、戦争の歴史と言って、過言ではありません。
1916年、仏英露の三国で、オスマン帝国の領土を分割統治するような極めて身勝手な合意による密約「サイクス・ピコ協定」。その後、一連の矛盾外交によって生じたパレスチナ問題等々、現在も、世界の至る所で争いが絶えません。
広島市の原爆死没者慰霊碑には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」とあります。これは、全人類がかみしめるべき言葉です。
令和4年5月 市長コラム 「中川辺の散策」
元々、「外での運動派」ですが、「幸手市健康マイレージ」を始めて、一層外歩きが楽しくなりました。桜泉園から、市民の熱い嘱望で完成した令和橋に向かう。途中、上吉羽公園に立寄り、運動遊具でウォーミングアップ。令和橋中程の欄干から、眼下の中州に出来た水溜りに生息している、亀の親子の所作が微笑ましい。
令和橋を渡り切り、五霞町側の土堤を直ぐ右に折れる。畦道のような土と雑草の自然道は足に心地よい。対岸からの幸手市街風景は壮観!緑の柳若葉の樹間から垣間見える中川の流れも乙。佇立する煙突。テニスコートに若やいだラリーの響き。総合グラウンド・野球場・圏央道4車線化工事の槌音。番の水鳥・蝶・野鳥の群れ。宇和田公園の庄内古川樋門に到着。太公望の後姿に、静謐で平和なたゆとうとした時間が流れます。遠景の富士山・日光連山・筑波山が優しく慈しんでくれています。茫洋とした約2時間の散策でした。
令和4年4月 市長コラム 「惻隠の情」
幸手市長 木村 純夫
コロナ感染症はまだまだ緊張感をもっての対応を余儀なくされ、気の抜けない日々です。行政を預かる者として、「私達の仕事の先には、必ず市民の皆様がいらっしゃる!」を肝に銘じています。そして、行政を前進させる事が、一番の責務です。
取り分け、市長公約や市の重点事業の進捗等につきましては、今後とも丁寧かつ解かり易い内容で、広く市民の皆様に、お知らせしていくつもりです。
かかる中、昨今の世界(ロシアのウクライナ侵攻、北朝鮮の動向等)や国内の諸情勢、出来事を俯瞰(全体を大きく眺め渡すこと)した時、改めて「惻隠の情」に思いを巡らせています。
自分の立場を自覚しつつ、他者の立場を理解し、他者に対する労り・同情・思い遣り・優しさ等を、どれだけ素直に表現し、実践しているのか!自問自答・汗顔の至り・反省の日々を送っています。
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更新日:2023年09月01日