木村純夫市長コラム

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更新日:2023年09月01日

令和6年4月市長コラム「「辛⇒幸」プラスワン」

桜

令和6年度がスタート。今年の1月、例年どおり、市長と職員の意見交換会(管理職・主査を除く約170名、13回開催)を実施しました。若手職員との意見交換会が、市長の市政運営上極めて有効・有意義であることは論を待ちません。今後、課題山積みの市政を前進させるためには、若手職員の「プラスワン」を大いに期待したい。

 

辛(からい、つらい)に1本足すと、幸手の幸(さち、さいわい)になります。市役所の職員が自分だけのプラスワンを探し、成果・結果を導き出すことにより、大きな実績が生まれます。「1人の100歩より、100人の1歩」を大切にしていきます。ニーズが多様化する時代だから、若い人たちの自由な発想から幸手市のポテンシャルを活かした次の一手を期待します!

 

かの松下幸之助氏語録に「強い決意から全てが始まる、机上の論より実地の汗、心の成長に限りなし」があります。政策に職員の若い力を結集し、そこに市民の声をしっかり反映させ、透明で開かれた未来志向の市政運営を目指します。

令和6年3月市長コラム「幸手総合公園の「メタセコイヤ」」

メタセコイヤ

小学生時代に「生きた化石」で、シーラカンスとメタセコイヤを学んだ。北アメリカ大陸には、世界で最も多種のオーク(ナラの総称)が生育しているが、中でも西海岸には、高さ100m・幹回り50mもの世界最大級のジャイアントセコイアの巨木があるそうです。

 

メタセコイアは、セコイアとは違ったものという意味で、和名はアケボノスギ。メタセコイアは、新生代第三紀(6500万年前~200万年前)に栄えた植物で当初、化石しか発見されていなかったため、絶滅種とされていた。しかし、1946年、中国四川省で現存種が発見され「生きた化石」として当時、一躍有名になりました。1949年、アメリカの博士から天皇陛下に献呈されたのが、日本に入ったメタセコイア第1号。木の成長が早く1年間で1mも育ち、何よりも樹形が美しい!

 

幸手総合公園のメタセコイアは、公園がオープンした1987年(昭和62年)に植樹されました。春の芽吹き、秋の紅葉時には、散策をお楽しみください。

令和6年2月市長コラム「令和6年能登半島地震」

幸手市地域防災計画

今年の元旦、M(マグニチュード)7.6の能登半島地震が発生し、多くの死傷者や甚大な被害が出ました。お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、そのご家族や被災された方々に、心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。

 

2019年10月、市長就任5日目に台風19号に見舞われた際、徹夜の対応に追われながら、災害に「想定外はない」と痛感したことを思い出し、直ちに「幸手市地域防災計画」を読み直しました。この計画の内容は、大きく「震災対策編」と「風水害対策編」から構成されています。キーワードは、1.自助・共助による防災力 2.交通ネットワーク・ライフラインの確保 4.医療救護体制 5.避難対策 6.物資供給・輸送対策(飲料水・食料・生活必需品等)。そして、最終章は「最悪事態」を想定した、市民とともに、自助・共助・公助を共有した「逃げる」「逃がす」「生命を守る」認識・訓練の必要性です。

 

能登半島地震を教訓に、改めて、今回の災害を決して「対岸の火事」とせず、私自らも「大切な市民」を守るために、今後も全力を尽くします。

令和6年1月市長コラム「「近き者悦(よろこ)べば 遠き者来(きた)る」(孔子)【今年の干支は、めでたい兆しの龍です】」

日の出

昨年の10月、全国市長会主催「全国都市問題会議」が青森県八戸市で「文化芸術・スポーツが生み出す都市の魅力と発展」をテーマに開催されました。文化芸術・スポーツは、古来より人々の生活と密接不可分な関わりを有してきました。題記の「近き者~」は、地方創生の核心を突いた言葉。文化芸術・スポーツが生み出す都市の魅力と発展とは、その地域に住む人々がいつまでも暮らし続けたいと思い、誇れるまちを創っていくための営みであり、その営みこそ地域の(そと)の人々をも惹きつけることで、まち全体の持続的な発展に結びついていきます。

 

文化芸術・スポーツは、個人生活のハリと潤いをもたらし、人生を豊かなものにするだけにとどまりません。まちづくりの主役である市民と各種団体・行政等の緊密な連携と協働力を礎に、幸手市民が幸手市に誇りを持ち、定住や交流を促進し、自信を持って自分達のまちの素晴らしさを喧伝(けんでん)することから、地方創生は始まります。

令和5年12月市長コラム「「異次元の市役所」と言われるように」

市役所

かって、大学の柔道部に入部した時、4年生に「渋沢」先輩がおられた。深谷市出身の日本を代表する実業家・渋沢栄一の傍系ではあるが、渋沢栄一を彷彿とさせる雰囲気の人柄と容貌。(私は、渋沢栄一を直接は知らない)

 

昨年、渋沢栄一直系の玄孫(やしゃご)・健氏からご高説を拝聴する機会がありました。「民間企業のみならず、官庁も役所も“前例踏襲・前例がない”から脱皮できなければ、いずれ衰退・滅亡する」という問題提起でした。お役所仕事と言われて久しい。この言葉は、ややもすると形式的で、時間がかかり過ぎ、縦割り・実効性のあがらない仕事ぶりを揶揄して使われてきたきらいがあります。

 

ここ3~4年間のコロナ禍で仕事の仕方が多様化し、DX・IT化等も急速に進み、世の中の進歩・変化の速さには、眼を見張るものがあります。

 

これからのお役所仕事とは「過去の形式に捕われず、柔軟な発想で、迅速かつムダを排除し、実効性の高いやり方でなければなりません。市民の皆様から、「お役所仕事も変わったね!」と前向きな評価をされるよう日々努めたい。

令和5年11月市長コラム「神永とヘーシンクの柔道精神(五輪柔道)」

曼殊沙華

東京オリンピックが開催された昭和39年10月10日を記念し、昭和41年に国民の祝日として、「体育の日」が定められました。当時14歳だった私は、TVに釘付けになり全種目を視聴し、今でも各種目のメダリストの顔と記録が脳裏に鮮明に残っています。中でも、日本の国技である柔道競技が始めて採用された東京大会での無差別級決勝戦は、日本の神永がオランダのヘーシンクに敗れて銀メダル。(軽・中・重量級は全て日本人が金メダル)

 

この決勝戦でヘーシンクが勝利した瞬間、興奮した仲間が畳上になだれこもうとした時、196cmのヘーシンクが咄嗟に両手を高く揚げ、制した姿に感動しました。そして、敗けた神永は、その後、同僚達を部屋に招き入れ、ただ一言「ヘーシンクは強かった」と素直に認め、それ以上何も語らず、涙も流さなかったそうです。その翌日、神永は何もなかったように、定時に出社(当時の富士製鉄)し、仕事を始めた。二人の高邁な精神には感服の至りです。

令和5年10月市長コラム「「柿の日」と「日本の四季」」

柿

「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」の句を正岡子規が詠んだ10月26日は「柿の日」です。私は木にたわわに実った柿を見かけますと、秋を感じます。(※)

秋は、「食欲・運動・読書・芸術・旅行・・・・・の秋」と言われることからも、私たちが活動するのに良い季節ということでしょう。しかし、近年の異常気象により、春と秋がなくなり、四季が夏と冬に二分する「二季」になってしまう懸念が、俄然(がぜん)現実味を帯びてきた昨今です。

 

私は、1970年代にアフリカの雨季と乾季の国で4年間、その後、中近東の砂漠の国に勤務しました。わずかな風や樹々の葉に繊細な春や秋を感じるのは、恐らく世界中で日本人だけかもしれません。(今は、その四季を感じられる日本の良さが失われつつあるように思われます。)

 

権現堂堤は、「四季の公園」です。9月中旬頃から曼殊沙華が咲きほこります。せめてこの秋は、猛暑で疲弊した心身を権現堂堤のそぞろ歩きで優しく労わってやりましょう!

※私が幼少の頃は、田舎のどこの農家にも柿の木があり、軒下には冬の風物詩として干柿が大量に吊るされていました。

令和5年9月市長コラム「核兵器の悲惨さを伝える原爆ドームから」

市長コラム

8月5日と6日、4年ぶりに「平和の作文集」入選の中学3年生6名を引率し、広島市平和記念式典に参加してきました。山口恵司氏(被爆体験伝承者)から、78年前の原爆投下の日の様子などがスライドを使い鮮明に語られました。被爆の悲惨さ・残虐性に胸が押しつぶされる思いでした。そして、平和祈念式でのこども代表男女2人の「平和の誓い」に目頭を熱くした参列者が何と多かったことか。

世界情勢は、ロシアのウクライナ侵略が未だ終息をみないばかりか、世界の至る地域で戦争・紛争・内乱などが絶えない。今年5月、広島での先進7か国首脳会議で各国は、核のない世界に向けた「核の不使用」は確認したものの、「核兵器廃絶」への具体的な道筋は示せませんでした。今年の平和の作文集の中に「私の思う平和な世界は、戦争などで罪のない人が殺されず、安心して暮らせ、日常生活を普通に過ごせる日々が続くこと」とあります。広島・長崎に続く「3度目の核兵器使用」は絶対に許されない!!

令和5年8月市長コラム「教養(心の豊かさ)」

sityoukoramu儒教に「才なく知もなくも、徳や情があれば、人間まちがいなし」の教えがあります。「教養」とは知識の量でなく、相手の気持ちが解ること(人に対する優しさ・感謝・温かい心・慈しみ・包容力・・・・)。そして他人と共通の立場に立って考える能力こそが真の教養と言えます。いつの時代においても、このことが一番重要なことです。

1918年、東北人として初の首相に就任した偉大な政治家:原敬(平民宰相と呼ばれた)の座右の銘は「宝積(ほうじゃく)」。宝積は「人に尽くして見返りを求めない」、「人を守りて己を守らず」という意味で、原敬は極上の教養人だったと思われます。私は地元の書家にお願いし、したためた「宝積」の文字を毎朝眺めてから、一日の仕事を始めます。

(余話)随分と旧聞に属する話ですが、ある先輩から「キョウヨウ」(今日用事がある)と「キョウイク」(今日行く所がある)が高齢者には大切!と伺ったことがあります。

令和5年7月市長コラム「「江戸川クリーン大作戦」に参加して」

昨年はコロナ禍で、一部の人達で細々と実施した江戸川クリーン大作戦。今年(5月28日)は、約200人の地元有志が日曜日の早朝から参加してくださった。

残念ながら、無造作に捨てられたペットボトルや空き缶などで、用意したごみ袋が直ぐいっぱいに。

現代は、「地球環境」を如何に守るか!が大きな課題となっている。世界中で起きている主な環境問題は大別して、1.地球温暖化(温室効果ガス)2.海洋汚染(石油由来のプラスチック・ごみ・生活排水)3.水質汚染4.大気汚染(PM2.5)5.森林破壊(野生動物の減少・絶滅、気候変動)。これらは、大半が人類の活動を要因として発生している環境問題である。この解決のために、今、私達人類に出来る事(やるべき事)は、世界中で起きていることを知り、自分に何が出来るか、日常生活の中から考え実践することである。そして、何よりも「ごみをなるべくださない!これ以上増やさない!分別して処分する!」作戦が最優先課題です。

令和5年6月市長コラム「病は気から」

私は、丸10年間の病院勤務生活で、医療知識について幾分「門前の小僧習わぬ経」を読みました。同じ薬でも患者さんがそれを「効果ある」と信じて飲む時と「効くものか」と思って飲む時や、医師との信頼関係の疎密により、効果や治癒力に差違を生じる事が知られています。そして、病気は医師のもと、しっかり()を治す事が何より大事ですが、()は単に肉体だけに関するものではなく、()にも関係しています。「無病息災」に越したことはありませんが、私は「一病息災」も大切にしています。「一に看病、二に薬」の(ことわざ)もあります。健康の健は「すこやか」と読み肉体(・・)を、康は「やすらか」と読み()を表します。「病は気から」は、「病気は気で勝つ。百病は気から起こる」とも言います。随分以前の話になりますが、作家の五木寛之氏の講演が宇都宮市であり、「やるせない(・・・・・)時は遠慮せず、大きなタメ息を何回かつく事」を推奨されていました。「笑う(かど)には福来る=笑いは人の薬」。

令和5年5月市長コラム「「さくらマラソン」と「Process」(過程・経過)」

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4月2日(日曜日)、長らくコロナ禍の影響により中断を余儀無くされていた待望の「幸手市さくらマラソン大会」が4年ぶりに10Kmコース1本に絞って開催されました。募集人員1,000人に達するかの懸念は、受付開始間もなく募集定員に達し、杞憂(きゆう)でした。一人の怪我人も無く、大会が無事終了し、安堵(あんど)。改めて沿道の応援者を含む多くの関係者のご尽力ご協力に対し、心から感謝を申し上げます。

「終わり良ければ全て良し」の言葉がありますが、今大会で「プロセス」の大事さを強く思いました。私も完走を目指して、足首に(おもり)を装着して歩行し、また宇和田公園で石段昇降等をやり、驚く程脚力がアップしました。更に、ランニング中に仕事の新鮮なアイデアが浮かんだり、ストレスの解消、食事が美味しい等々良いことづくめ。完走した事よりはるかに沢山の収穫があり、健康寿命が少し延びた感じがします。西洋の格言にあるように「二本の足は、二人のお医者様」です。

令和5年4月市長コラム「先人木を植え 後人涼をとる」

権現堂桜朝焼け

これは、将来のことを見据えて行動する大切さを伝えると共に、日々の生活を送る様々の場面で、先人の功績や恩恵に浴していることを示しています。

この顕著な例が全国の自治体の中で唯一「幸」がつく幸手市の「権現堂桜堤」です。

先月、民放のTV番組で幸手特集がありました。(幸手市の魅力を改めて見直したのは、私だけではないと思います。)これを契機に、幸手市を、そして関東有数の桜の名所である権現堂桜堤に多くの方々が訪れていただきたい!!

権現堂桜堤の歴史を少し。

桜堤が初めて築かれたのは戦国時代(1576年)。明治9年には、明治天皇の行幸がありました。数千本の大樹で桜花爛漫を競った権現堂桜堤は、太平洋戦争末期には、その殆どが燃料の薪として伐採されてしまいました。

しかし、桜を愛する不屈の精神は地元の有志達により蘇り、見事復活しました。私達が観ているのは、昭和24年から再び植樹された二代目の桜です。

この郷土の誇りである桜を子子孫孫まで守っていくのが、私達の役割です。

令和5年3月市長コラム「秩父事件~ロシアウクライナ侵略」

権現堂桜堤1

明治の1880年代、東日本を中心に自由民権の炎が燃え広がり、福島・高田・加波(かば)山・飯田事件等、自由党急進派による激化事件が多発しました。秩父事件もその1つ。1884年(明治17年)、悪徳の金貸しや政府の失政を批判し、貧民の救済を訴えて起こした、日本近代史上最大の農民蜂起です。その秩父事件が映画化(タイトル「華の乱」)され、2005年に私が責任者となり、地元で上映会を開催しました。(収益金は社会福祉協議会へ寄付)

時は移り、全く別のものではありますが、ロシアのウクライナ侵略は、今年に入っても、未だ終息の見通しもつかず、むしろ一層激化の様相すら呈しています。そして、この悪影響は世界中に拡大し、エネルギーの高騰・食料危機に止まらず、深刻・悲惨極まりない事態を惹起しています。今年5月に広島で、先進国7ヵ国首脳会議(G7サミット)が開催されますが、改めて世界の永久不変(恒久平和)を切に願わずにいられません。

令和5年2月市長コラム「筑波登山」と「さくらマラソン」

令和5年2月市長コラム

昨年、暮れも押し詰まった30日、久しぶりに孫5人(10人の孫の半分)達と筑波山(877m)登頂をしました。筑波山神社にお参りしスタート。

男坂から登り始めましたが、とても辛く歩き始めて30分も経過しないで「足手まといにならないうちに下山しよう!」と弱気になりました。それでも我慢して歩いていたらウソの様に元気が回復し、先頭で山頂にゴール。快晴の山頂からは、360度のパノラマが展開。霞ヶ浦・日光連山・上毛三山・富士山・さいたま副都心が眺望できました。

一番幼少の小1の女子は、自力での登山は無理と懸念していましたが、終始笑顔を絶やさず軽快な足取りで、逆に「おじいちゃん大丈夫?」と励まされてしまいました。(苦笑)流石に山頂は肌寒く、持参したオニギリを早々に頬張り下山。帰宅しての反省夕食会は、和気あいあいとなりました。

今年の4月2日には、4年ぶりの「第30回幸手市さくらマラソン大会」が開催されます。筑波山登山での自信で、10km(制限時間80分以内)の完走を目標にエントリーしました。

令和5年1月市長コラム「気宇壮大な願望・目標を!」

冬の権現堂

昨年、22歳で三冠王獲得や日本選手のシーズン最多となる56本塁打、5打席連続本塁打など数々の記録を残したプロ野球・村上宗隆選手。シーズン後半、私が懸念していた事が的中してしまった。

「残り試合からしてホームランの日本記録(61本)は間違いなく越えられる」との周囲の予測の中、私はややもすれば達成困難!と読んだ。その答えは、村上選手自身のシーズン終了後の懐古談にありました。

『50号を打った頃に、王さんに並べるくらい打てればいいかなという目標を立ててしまった。自分にもっと期待して、60号・61号という目標を立てておけば、また違う結果が生まれたのかと思う。そこは一つの後悔』と悔しさをにじませている。

天と地以上の差のある話ですが、私も高校一年生の時に柔道部の顧問から、「木村を埼玉県一にしてやる」と言われ、結果そうなりました。

もし、日本一にしてやる!と言われていたら・・・。願望・目標は途方もなく高い次元程良い!!やる気さえあれば何でもできる!!

令和4年12月市長コラム「私の青春」

幸手市民まつり気球

「青春とは人生のある期間をいうのではなく、心の様相をいうのだ」 サミュエル・ウルマン

私は小1~高3までの12年間皆勤賞でした。大学4年の夏、東京から青森の十和田湖まで自転車で、およそ2,000キロメートル、ほとんど野宿の旅をしました。卒業少し前に結婚し、新婚旅行は大宮の式場から、自転車で関東一円を10日間かけて巡りました。アフリカのザイール(現コンゴ民主共和国)赴任当時の1978年、柔道の先輩と二人で猛暑の中、州都ルブンバシのゴルフ場で、1日5ラウンド(90ホール)を12時間かけて達成!(医者の叱責を受けました)。大阪勤務時97KOBE六甲全山(・・)縦走大会に挑戦。早朝、須磨浦を神戸市長の太鼓の合図でスタートし、深夜に宝塚ゴール。約56キロメートルを完走しました。

往時茫茫。昨今は、年齢に依る衰えは如何ともしがたく、努めて毎日のテレビ体操、通勤は徒歩または自転車、休日の散歩・ジョギング、読書等を欠かさないよう心掛けて生活しています。

令和4年11月市長コラム「(信号機のない)横断歩道」

横断歩道

「(信号機のない)横断歩道」

今年の8月19日沖縄で、「横断歩道に車 保育園児7人ケガ」。交通量が多く、信号機のない横断歩道を何事もなく渡り切るには、相当の覚悟・勇気がいります。日本はまだまだ車優先(・・・)社会と感じられ、これでは歩行者に優しくありません。

横断歩道は、「車道を横断する歩行者の安全を守るために設けられた道路区域であり、信号機のない横断歩道を歩行者が渡ろうとしたら、ドライバーは必ず横断歩道の前で一時停止し、歩行者に進路を譲らなくてはいけない。停止しなければ、道路交通法違反となる」。「学童が手をあげて横断歩道を渡り、車は()車線ともきっちり停車する。そして、渡り終えた学童は車のドライバーにお礼のお辞儀をする。ドライバーも思わずニッコリする」。そんな清々しく微笑ましい光景が幸手市内でも、日常茶飯事になってほしい。いつだって、歩道や横断歩道は歩行者優先!因みに、海外では強制的に減速させる『ハンプ』(ラクダのコブの意)の顕著な地域があります。

令和4年10月市長コラム「南十字星と中秋の名月」

中秋の名月

1975年から丸4年間、ほぼ(・・)南半球にあるコンゴ民主共和国で、銅鉱山開発に携わっていました。

毎夜、空を見上げると満天の星。そこに北斗七星はなく南十字星が。(寂寥感(せきりょうかん)から、日本が恋しく、落涙の日も!)

市内に、一年中天体を観察されている中村先生という方がおられます。空の知識のない私に、朝晩の月・太陽の黒点の動き・星座の話等々、詳細に解説して下さいます。

埼玉県の三偉人の一人、(はなわ)保己一(ほきいち)は若くして失明しましたが、驚異的な暗記力で学問をきわめ、大文献集の「群書類従」の編さんを成し遂げました。

保己一は、ある秋の夜、月見の宴を張りました。

空を眺める楽しげな人々の声をきき「花ならば手にとりて見ん今日の月」と詠みました。すかさず、傍にいた保己一の妻が「明月や座頭の妻の泣く夜かな」と優しく返歌したそうです。

月夜に照らされた美しい座頭の妻が、夫に代わり我が目を潤ます姿に、秋の訪れを感じます。

今年の中秋の名月(十五夜)は、9月10日。とてもとても大きな明るく輝く月を、ススキと月見団子とお酒で愛でることができました。

令和4年9月市長コラム「広島平和記念式典に参加して」

ヒマワリ1

8月6日(土曜日)、市長に就任して初めて、77回目の原爆忌を迎えた式典に参列しました。

ロシアがウクライナ侵攻を開始して約半年が経過、なお長期化の様相を呈しています。

広島平和記念資料館「熱線による被害」によると、「原爆が爆発したときの爆発点の温度は数百万度となり、空中に発生した火球は1秒後には直径400メートルを超える大きさとなりました。この火球から四方に出された熱線は、爆発0.2秒後から3秒までの間、地上に強い影響を与え、爆心地周辺の表面の温度は、3千度から4千度にも達しました」。

来年5月、広島で先進7か国(G7)サミット開催が予定されています。人類は大戦の惨禍を経て、世界の恒久平和を希い国際平和機構を作りましたが、国際連盟、国際連合いずれも十分に機能していません。

危機は戦争に至る前に地域の諸国が連携して解決すべきもの。

唯一の被爆国である日本の果たすべき役割はある!

 

令和4年8月市長コラム「水H₂O」

水

「水」は人間生活ばかりか、工業・農業・発電等に欠かす事のできない重要性をもつ一方、洪水(渇水)災害を引き起こします。閑話休題。砂漠の国であり、世界有数の産油国アラブ首長国連邦のアブダビで石油資源開発事業に従事していた時、「深井戸を掘れば水が出るのではと淡い望みで井戸を掘ったが、やはり石油しか出なかった!」というエピソードを耳にしました。アブダビでは、海水を真水にし、更に必要なミネラル分を加え、生活用水を製造している。(ガソリンより高値?)地球の水の量は約14億㎦。水の97.5%が海水。従って、約2.5%が淡水。さらに、淡水の約70%が南極の氷。その他、地下水をのぞき、私達が生活で利用できる淡水は、地球の水のわずか0.01%(10万㎦)程度です。人体の主要成分の70%は水。改めて、生物の源である「水」に想いを馳せつつ、猛暑続きの今夏、万一の異常気象に備え、「幸手市洪水ハザードマップ」を妻と読み返し、「マイタイムライン」の見直しをした次第です。

令和4年7月市長コラム「人口」

ひまわり

幸手市の人口は、昨年5万人を割りましたが、今年5月1日現在(前月比)17人増加しました。(一寸嬉しい)国の2021年人口動態統計によると、一年間の出生数は81万人で、第二次ベビーブーム時の約三分の一。合計特殊出生率は1.30。(埼玉県は1.22、世界200位弱、希望出生率は1.8)アフリカ諸国は、ほぼ4~6の水準。欧州ではフランスが1.8で大健闘!人口減少に歯止めをかける「魔法の杖」は有りません。生活様式・生き方・働き方、子供の教育等の多様化により、人口問題は複雑化しています。

今後の人口減少に対する、国の積極的な諸政策の展開を期待する所ですが、一方、各自治体は、単なる補助金合戦に明け暮れし、過剰な人口の奪い合いをしている場合ではありません。

幸手市は、市民の皆さまが、安心・安全・健康で暮らせる魅力あるまちづくりの為、人口減少に歯止めをかけるべく、行政としてより一層の努力を、()まず(たゆ)まず続けて参ります。

(厚生労働省ホームページ参照)

令和4年6月 市長コラム「戦争と平和」

戦争と平和

ロシアのウクライナ侵攻の惨状は言葉になりません。私は、1975年から丸4年間、アフリカのザイール(現コンゴ民主共和国)で銅鉱山開発に従事しました。その間、二度に亘り国内戦争が勃発し、多勢の人々が殺戮されるのを目のあたりにしました。

いつの世も、戦争の被害者は、戦争の渦中にある何の罪もない国民です。

1990年初頭、石油開発の為、中東アブダビに赴任した前後に、イラクのクウェート侵攻がありました。中東の歴史もまた、戦争の歴史と言って、過言ではありません。

1916年、仏英露の三国で、オスマン帝国の領土を分割統治するような極めて身勝手な合意による密約「サイクス・ピコ協定」。その後、一連の矛盾外交によって生じたパレスチナ問題等々、現在も、世界の至る所で争いが絶えません。

広島市の原爆死没者慰霊碑には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」とあります。これは、全人類がかみしめるべき言葉です。

令和4年5月 市長コラム 「中川辺の散策」

中川

元々、「外での運動派」ですが、「幸手市健康マイレージ」を始めて、一層外歩きが楽しくなりました。桜泉園から、市民の熱い嘱望で完成した令和橋に向かう。途中、上吉羽公園に立寄り、運動遊具でウォーミングアップ。令和橋中程の欄干から、眼下の中州に出来た水溜りに生息している、亀の親子の所作(しょさ)微笑(ほほえ)ましい。

令和橋を渡り切り、五霞町側の土堤を()ぐ右に折れる。畦道(あぜみち)のような土と雑草の自然道は足に心地よい。対岸からの幸手市街風景は壮観!緑の柳若葉の樹間から垣間見える中川の流れも(おつ)佇立(ちょりつ)する煙突。テニスコートに若やいだラリーの響き。総合グラウンド・野球場・圏央道4車線化工事の槌音。(つがい)の水鳥・蝶・野鳥の群れ。宇和田公園の庄内古川樋門(ひもん)に到着。太公望の後姿に、静謐(せいひつ)で平和なたゆとうとした時間が流れます。遠景の富士山・日光連山・筑波山が優しく(いつく)しんでくれています。茫洋(ぼうよう)とした約2時間の散策でした。

令和4年4月 市長コラム 「惻隠の情」

市長

幸手市長 木村 純夫

コロナ感染症はまだまだ緊張感をもっての対応を余儀なくされ、気の抜けない日々です。行政を預かる者として、「私達の仕事の先には、必ず市民の皆様がいらっしゃる!」を肝に銘じています。そして、行政を前進させる事が、一番の責務です。

取り分け、市長公約や市の重点事業の進捗等につきましては、今後とも丁寧かつ解かり易い内容で、広く市民の皆様に、お知らせしていくつもりです。

かかる中、昨今の世界(ロシアのウクライナ侵攻、北朝鮮の動向等)や国内の諸情勢、出来事を俯瞰(全体を大きく眺め渡すこと)した時、改めて「惻隠の情」に思いを巡らせています。

自分の立場を自覚しつつ、他者の立場を理解し、他者に対する労り・同情・思い遣り・優しさ等を、どれだけ素直に表現し、実践しているのか!自問自答・汗顔の至り・反省の日々を送っています。

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電話 0480-43-1111 内線223 ファックス 0480-43-7088

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