権現堂堤

1920年、権現堂堤(利根川の支流である権現堂川の堤防)の延長6キロメートルに3,000本のソメイヨシノが植えられ、関東の桜の名所となりました。

戦前の隆盛時は遠く静岡あたりからも花見客が見えて大変な賑わいを見せました。

しかし太平洋戦争末期に薪として伐採されたため、1949年に改めてソメイヨシノが植樹されました。

全国的な桜の名所として、毎年、春には多くの花見客が訪れる権現堂堤。

約1キロメートルに渡って続く桜並木と周囲に広がる菜の花畑が織り成す淡いピンクと黄色のコントラストは、訪れる人の目を楽しませています。

桜や訪れる人を守る(NPO法人幸手権現堂桜堤保存会)

桜や訪れる人達を守るために、幹や枝の傷口に薬を塗ったり、折れてしまった枝などを除去したりと日々保存活動をしています。

特に子どもの目の高さ、枝が目に当たってケガをしないような配慮や、遊歩道や斜面などでケガなどをしないように安全面を考えながら整備をしています。

権現堂桜堤を未来につなぐ

桜土手のいたるところで、古木の根元から、未来へ向かってひこばえが力強く伸びている様が伺えます。

※ひこばえ=根元から生えてくる若芽。

桜の植樹「百年」のあゆみ(主な出来事)

大正9年(1920)

 行幸堤史蹟保存会結成後、権現堂(行幸)堤に3000本の桜を6kmにわたり植樹。

大正11年(1922)

 桜の花も咲きはじめ、そよ風にゆれる油菜や若草の中に安らぎを求めて人が集まる。堤上からは富士山や筑波山を眺めることができた。

大正13年(1924)

 権現堂堤が各地に紹介され、脚光を浴びるようになり露店や屋台も軒を連ねる。東京から江戸川を船で上り花見に来る客もいた。

昭和4年(1929)

 東武線幸手駅が開設される。そこぬけ屋台が権現堂堤にくり出す。

昭和7年(1932)

 露天商も軒を連ね小屋掛けをし、芝居などの興業も行われる。東武線浅草駅から幸手駅までの臨時列車がでる。

昭和15 年(1940)

 周辺各地には製糸工場が多く、桜の時期には小旅行として幸手駅から権現堂堤まで行列が続いた。

昭和20年(1945)

 太平洋戦争時に燃料とし、ほとんどの桜が伐採される。

昭和24年(1949)

 栗田亀蔵氏(町長)および公民館職員などで、3000本の桜の苗木を堤約1kmに植える(そのうち約1000本が現在に残る)。

昭和26年(1951)

 幸手町保勝会によって桜堤開きなどのイベントが行われる。人の数も多く、漫才・手品・声帯模写などの芸人を呼び、戦後最も盛り上がった頃である。

昭和28年(1953)

 「県下観光50選(埼玉新聞)」に入選する。これを機に保勝会が桜60本を増殖。

昭和30年(1955)

 観光協会が設立され、雪洞に電灯を点け夜桜の鑑賞もできるようになる。

昭和34年(1959)

 川崎の囃子と面神楽・千塚の手踊り・一ツ谷の飴屋踊りなどの郷土芸能の公開も行われる。

昭和40年(1965)

 民謡踊り・チンドン屋・写生・俳句・撮影・素人のど自慢・へらぶな釣り・川柳などの各種大会が行われる。

昭和49年(1974)

 幸手駅から権現堂堤への直通バスが運行される。

昭和58年(1983)

 行幸堤・権現堂堤が幸手町指定文化財となる。

昭和63年(1988)

 周辺農地(1万9000平方メートル)に菜の花を作付する。

平成8年(1996)

 12月に幸手権現堂桜堤保存会発足(NPO法人資格は、平成16年に認定を取得)。平成23年(2011)に 県営権現堂公園の指定管理者となる。

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更新日:2021年10月01日